期待もせず、予備知識もなく、無防備に出会って衝撃を受けるということがあります。遭遇するのは食べ物だったり、音楽や絵画だったりいろいろですが、絵本は、そんな思いがけない出会いの頻度が高いもののようです。私にとっての『ぼくがラーメンたべてるとき』(教育画劇)は、まさにそんな本でした。
書店の新刊コーナーで、愉快で、楽しい作品の多い作者の名前が目に入り、早速、手に取り広げたのは、3年ほど前のことでした。「ぼくがラーメンたべてるとき、となりでミケがあくびした」「となりでミケがあくびしたとき となりのみっちゃんがチャンネルかえた」。はいはい、それで…と、ページをめくって行くと、“となり”はどんどん遠くなり、やがて見知らぬ国で男の子が倒れている場面になります。そこには、かぜがふいていて、ラーメン食べてるぼくの背後でも「かぜがふいていた…」と、最後のページを閉じたとき、思わず出た大きなため息を忘れることができません。男の子の倒れた理由など何も書いてないのに、戦争や紛争の影を感じてしまうのはなぜでしょう。何も言わずに我が子に手渡すと、ページをめくる手はどんどん遅くなり、何とも悲しそうな顔で本を閉じました。そして、「そうなんだよね。知らなくちゃいけないよね」と言ったのです。
この時期だからこそ
子どもに伝えたいこと
間もなく8月15日、65回目の終戦記念日を迎えますが、この時期になると、必ず思い出すシーンがあります。それは、子どもの頃見たあるテレビ番組で、今は亡き名女優杉村春子さんが、着物姿でただ一人朗読をする姿です。読んでいたのは、現在『いしぶみ(碑)』(ポプラ社)として出版されている、広島二中一年生全滅の記録。8月6日の朝、本川土手に作業のために整列した広島二中一年生321人と4人の先生は、被爆し、一人残らず亡くなりました。薄暗いスタジオの中、幼顔の少年たちの写真に囲まれて、BGMもなくただ静かに読み進められる父兄が綴った少年たちの最後の様子は、小学生の私には衝撃的でした。学校から帰って、のんびりおやつを食べながら、たまたま目にした番組でしたが、自分と少年たちとのあまりの状況の違いは、タイトルの『碑(いしぶみ)』という文字と共に、忘れることのできない記憶です。
年月を経て、母親になった今の私は、少年たちより親の立場と思いをより強く感じながら、思い出すようになっています。絵本ではありませんが、読んで聞かせることはできます。自分が読んで、伝えることはできます。今年、「知らなくちゃいけないよね」と言った我が子に、自分で読んでみるようにと手渡しました。
「“いしぶみ(碑)”とは、事績を後世に伝えるため、文字などを刻んで立てる石。石碑。」と辞書(『大辞泉』小学館)に出ていました。石碑で忘れられないものに、沖縄の「平和の礎」があります。