イラクのアバディ首相は過激派組織「イスラム国」(IS)のイラクの拠点、モスルを解放したと表明した。モスルの奪還により、イラクは今後、復興と治安回復を進めるが、国際的には隣国イランの影響力が強まり、「事実上、イランの配下となる」(ベイルート筋)ことが濃厚だ。こうした中、最大の焦点は米軍がIS掃討後もイラクに残留するのかどうかだ。
大ペルシャの野望
ISにとってモスルが陥落した後、イラクの支配地はモスルに近いタルアフタル、ハウイジャといった町や、西部アンバル州の村落など一部しか残らない。イラク軍はモスルから対テロ部隊をこうした地域に移動させ、IS残党の一掃を目指す計画だ。これに対してISはシリア領内の砂漠地帯に撤退するなどゲリラ戦とテロ作戦を散発的に続ける以外選択肢がなくなりつつある。領土を失った「カリフ国」は国家としての存在意義を失ってしまうということだ。
シーア派のアバディ政権はISの残党狩りを進めながら、戦後処理を進めることになるが、結局のところ、イランの意向を尊重しながら国家の再建に取り組むことになるだろう。イラクにとってのイランはそれほど大きな存在になっている。
イランは2003年の米軍のイラク侵攻後、米軍を攻撃させるためイラクのシーア派武装勢力を訓練、資金と武器援助を与え、イラクにシーア派政権が誕生した後はシーア派の盟主として、その影響力を強めてきた。スンニ派原理主義のISにとって、イランは背教者にして最大の敵。6月21日にはテヘランなどでテロ事件を起こした。
イランはISを安全保障上の脅威と見なし、イラクやシリアに革命防衛隊の顧問団や戦闘部隊を送り込む一方で、シーア派民兵軍団を使って対IS戦を戦ってきた。イラクでは、ISを一掃するため、「キタエブ・ヒズボラ」「ハラカト・ヒズボラ・ヌジャバ」などの民兵軍団3万人を強化し、モスルでもIS戦闘員の脱出を阻止する任務に就かせた。
特に革命防衛隊のエリート部隊「コッズ」の司令官で、対外作戦の責任者と言われているカセム・スレイマニ将軍がたびたびイラクの前線に立ち、直接指揮も執った。またイラン製のファジル・ロケットやファテハ・ミサイルをイラク側に配備、テロ事件の報復としてイラン西部から弾道ミサイルをシリア領内に撃ち込んだ。
とりわけイラク側が感謝しているのは、ISがシリアから侵攻してきた2014年6月当初、米国がイラク側の支援要請を渋ったのに対し、イランは軍事的かつ資金的に積極的に援助し、ISの進撃を食い止めるのを手助けした。イランが育成したイラクの民兵軍団は米軍との実戦経験があり、今回も弱体な政府軍を支え、モスル奪回の影の力となった。
イランがここまでイラクやシリアに肩入れする理由は何か。シーア派を忌み嫌うISから国家を守るという大義は無論強いが、最大の原動力はイランから地中海までのイラク、シリア、そしてレバノンという「シーア派三ヶ月ベルト」を死守するという戦略だ。
しかもイランは短期的に戦略の完成を目指すというよりも、じっくり時間を掛けてこの戦略を構築しようとしている。だからイラクでも、シリアでも決して目立つようなことはせず、自らは頭を低くして影響下にあるレバノンのヒズボラなどシーア派民兵組織を全面に出すという巧妙な手法を採用している。そこには、かつての「大ペルシャ帝国」の知恵と野望が見え隠れする。