2024年12月23日(月)

中東を読み解く

2017年6月29日

 過激派組織「イスラム国」(IS)のイラクの拠点、モスルの奪還が目前に迫ってきた。しかしモスルがイラク軍に制圧されても問題は解決したわけではない。急がれるのはモスルの治安の回復と破壊された市の再建だが、宗派対立や利権争いが待ち構えており、戦後処理を誤れば、ISの復活という悪夢が現実になりかねない。

破壊されたモスル市街(Martyn Aim/Getty Images)

スンニ派との和解がカギ

 イラクは一度、大きな失敗をしている。イラク戦争で侵攻した米軍がサダム・フセイン独裁政権を倒した後、国内は国際テロ組織アルカイダの蜂起で内乱状態に陥った。しかし2007年、米軍の増派とスンニ派部族勢力の協力でアルカイダをほぼ壊滅し、四散させた。このスンニ派部族勢力の協力は「アンバルの覚醒」と呼ばれ、過激派壊滅のモデルとまで言われた。

 だが、独裁政権の後に政権を握った多数派のシーア派政権はそれまでの報復の意図もあって、石油収入を中心とした経済的な利権を独占し、スンニ派を政治の場や国家の意思決定から排除した。スンニ派に対する迫害も日常的に発生し、スンニ派地域と住民の政府に対する不満は高まっていった。

 イラクの勢力は、南部を中心としたシーア派が人口の60%、中央部のスンニ派が20%、そして北部のクルド人が20%というのが概観。スンニ派だったフセイン政権時代には、少数派が多数派を牛耳っていたわけだが、逆に権力を握ったシーア派政権はスンニ派を追いやり、その怒りと不満を放置した。

 ここに付け入ったのがスンニ派のISだ。ISはそもそも、アルカイダ系の過激派と、米軍に打倒されて行き場を失ったフセイン政権の軍人や情報機関出身者の合体組織だ。米軍に追い立てられた組織メンバーは隣国のシリアの砂漠地帯に逃れ、2014年にシリアからイラクに侵攻、モスルなどを占領した。

 このISの電撃侵攻がうまくいった背景には、不満を強めていたスンニ派住民らが積極的に協力したという側面も大きい。シーア派政権がスンニ派を軽視せず、利権や政治を公平に分担していれば、恐らくはISの勢力拡大はこれほど成功してはいなかったろう。再び失敗を繰り返さないためには、権力と富をスンニ派といかに共有していくかがカギとなる。

 モスルで生き残っているIS戦闘員は約350人。6月21日にはISのモスル占領の象徴的な場所とされる12世紀の「ヌーリ・モスク」を自ら爆破した。現在は旧市街地の1キロ四方に追い詰められ、住民5万人を“人間の盾”にして最後の抵抗を続けている。モスル奪還作戦が始まった昨年の10月には、5000人ほどの戦闘員がいたとされるが、ほとんどが自爆テロやイラク軍の攻撃と米軍の空爆で死亡した。

 イラク軍は先週「数日以内に制圧する」としていたが、死を賭したIS側の抵抗で作戦完了にはもう少し手間取るかもしれない。しかし制圧は時間の問題であることに変わりはなく、イラクや米欧の関心は奪還後の治安の回復とモスルの再建に向けられている。


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