足立倫行のプレミアムエッセイ

2017年8月26日

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足立倫行 (あだち・のりゆき)

ノンフィクションライター

早大政経学部中退後、週刊誌記者などを経てノンフィクション作家に。近著に『血脈の日本古代史』(ベスト新書)『倭人伝、古事記の正体』(朝日新書)。

 「どのくらいたったかなぁ?」

 「出発から? さぁ、1時間くらいかも」

 「この木、けっこう重いね」

 「うん、水を吸ってるからね」

 私とJは、片手を丸太に巻きつけたまま、もう一方の手で平泳ぎを続けた。

 2人が摑まる表皮のとれた丸太は、長さ2・5メートルほど、直径約20センチ余り。

 岸を離れてしばらくは、丸太を前へと押し出して泳いで追いついたりしていたが、すぐに2人とも疲れ、以後は仮の浮きというより丸太に抱きついての泳ぎだった。

 目指すのは前方に見える猿島である。

(FotoDuets/iStock)

 猿島は横須賀市の沖合に浮かぶ無人島。明治時代の要塞跡で有名な島で、夏場は市街の桟橋から船の定期便が出ているが、中学2年生の私もJも船で行ったことはなかった。

 夏休みのこの日、突然猿島に泳いで渡ろうと思ったのは2人の「冒険」心からだ。

 私とJは1年生で同級になり、間もなく親友になった。一緒に柔道を習い始め、やがて柔道部を創設。何をやるにも一緒だった。

 アブナイ「冒険」もいろいろやった。夏ミカンを取りに果樹園に忍び込み番犬に追われたり、鉄屑を拾い集めて菓子に換金しようと鉄道線路の上を歩き回ったり……。

 2年生になってクラスが別れても、休みの日にツルム習慣は変わりなかった。

 この日は泳ぐ約束をしており、ランニングに海パンという姿で海水浴場で落ち合った。

 我々の通う馬堀中学校までの海岸は馬堀海岸と呼ばれ、夏の間は一大海水浴場となる。海岸沿いの国道ギリギリまで十数軒の「海の家」が立ち並び、家族客で溢れ返る。

 その喧騒が、なぜかその時はイヤだった。

 私とJはブラブラと、砂浜のない、人気の少ない西の方角へと歩いて行った。

 岸壁の下に、1本の丸太が打ち上げられていた。それを見て、顔を見合わせ、ほぼ同時に思ったのだ。「何か冒険ができる!」と。

 視線を巡らすと沖合には猿島が浮かんでいた。いつも登校中に馬堀海岸から眺めながら、行くチャンスのなかった離れ島だ。

 幸い2人とも(弱いけれど)柔道部の部員、体力だけは自信があった。

 現在、「東京湾唯一の無人島」である猿島へは、3月〜11月の期間、横須賀中央の三笠桟橋から渡船が毎日運航している(12月〜2月の冬場は土、日、祝日のみ。距離1・7キロで片道約10分、大人1300円)。

 近年、渡船が毎日運航するほどの人気スポットになったのは、明治時代のレンガ造りの兵舎や弾薬庫などの要塞跡が、「映画『天空の城ラピュタ』の廃墟そっくり」と評判になったせいだ。他に、太平洋戦争時代の砲座跡もあるが、地元では以前から磯釣りや海水浴など夏場の行楽地として知られていた。

 1961年8月のある日の午後、中学2年の私とJが疲労困憊して丸太と共に辿り着いたのも、猿島の南の端にある砂浜の、こじんまりとした海水浴場だった。

 家族連れの客は20人ほどだったろうか。彼らが我々にそうである以上に、我々も彼らに関心hがなかった。海パンの内ポケットにあった小銭でアイスキャンディーを1本づつ買い、食べ終わると放心したように浜辺に座った。

 戻らねばならない、再び海へ、丸太で。

 「船で帰りてえよな」

 「でも、もう金がないし」

 達成感どころか、「冒険」心も消失した。

 いつまで休んだのか、いつの間にか陽光は雲に遮られ、風もいくらか出てきた。

 私もJもウンザリした表情で立ち上がり、波打ち際の丸太を押しながら海に入った。

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