バルセロナの鎌倉ともいうべきカダケスは、一度行ったら絶対に忘れない場所だ。カダケスに行けば、必ずサルバドール・ダリのお宅に行くからだ。そのお宅の入り口には船があり、船の真ん中から大木が出ているのをみて度肝を抜かれる。
そんな、楽しいはずのスペインのバルセロナでテロが起きたとの報道があった。オリンピックの記憶がある大都市なので、日本でも大きく扱われている。有名すぎるガウディとダリをいったん置くとしよう。
バルセロナを一言でいえば、今回テロが起きたランブラス通りの散歩ということになる。30分ほどかけてゆっくり歩くとバルセロナを体感することができる。この1キロ強の散歩道を歩かない旅行者はいない。シャンゼリゼや銀座との違いは土地の人の日常にもなっているということだろう。この道を自動車で700メートルも疾走しながら100人もの死傷者を出した。
学生から「スペイン語専攻なので、今度バルセロナの大学に行こうと思います。マドリッドより雰囲気が良さそうなので…」という相談があったので、「バルセロナの大学では、強く希望しないとスペイン語は学べないと思う…」と答えた。
すると学生は「そんな馬鹿な。オリンピックの時、スペインのバルセロナと言っていたし、スペイン第二の都市だとも聞いています」
「実はカタロニアという地方の首都で、カタロニア語が日常語で公用語なのです。それもスペイン語の方言ではなく全く別の言語なのです。あえて言うと南フランスのフランス語にかなり近いね。一応スペイン語も公用語だが…」というと、学生は驚いていた。
1936年から3年間にわたって、スペインでは内乱がおきてしまった。民主主義対国家主義の戦いなってしまったのだ。
その過程で「ゲルニカ」「誰がために鐘が鳴る」「禁じられた遊び」「崩れ落ちる兵士」などの不朽の名作は生まれたが、引き替えのように50万人以上犠牲者が出てフランコ将軍が率いた右派の国家主義が勝利した。
負けた人民戦線側のバルセロナを中心としたカタロニア地方は、その言語が禁止され厳しいスペイン語教育がなされた時期が30年以上におよんだ。その後は、言語の復活と独立を目指している。
このところトランプ米国でも、南北戦争を引き合いに出した騒動が起きているが、150年も前のこととはいえ、同じ国のなかで100万人近い兵士市民が命を落とした記憶は消えない。
ペリー提督がやってきてハチの巣をつついた状態の日本の明治維新のための戦死者が数千人であったとすれば、ほぼ同時期に膨大な死者を出した内戦が米国で起きていたのも皮肉な話だろう。
その後の南北対立は表向き消えたが、いまだに大統領選挙となれば南北色を見ることができる。ましてや、目の前で両親が死んで行くのを見た人が存命のカタロニアで、スペインの内戦の記憶を消し去ることはできないのではないだろうか。
世界を震撼させたパリ、ブリュッセルは同時多発のテロは記憶にあたらしい。今回のバルセロナのテロも同時多発であったとすれば、気にかかることがある。バルセロナに続き、南部のカンブリスでもワゴン車の突入事件や、バルセロナから200キロも離れた町で爆破事故が起きている。状況から判断して、スペイン政府は同時多発テロであり、その一部が失敗しただけだとしている。
既に日本では記憶のかなたに消えているが、スペインでは絶対忘れられない日がある。日本で3.11といえば、あの日だが、スペインではマドリッドでの列車同時多発テロの起きた日として記憶されている。200人弱の犠牲者と2000人の負傷者を出している。
公式統計でも4700万人の総人口のうち、5%弱のイスラム教徒がいるようだ。多くはモロッコ出身とされる。そもそも、スペインはアフリカ大陸のモロッコに飛び地の領土を持ち、いったん柵を超えれば仲間の多いカタロニアにもむかえることになる。