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2017年11月11日

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風樹茂 (かざき・しげる)

作家、国際コンサルタント

作家、国際コンサルタント(kazakishigeru@gmail.com)。1956年、北海道生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。メキシコ留学後、中南米の専門商社を経て、南米アマゾンの奥地でODAプロジェクトの鉄道建設にかかわる。その後は、シンクタンク、研究所勤務などで、首相向けの政策提言、ODA援助、海外投資、NGOプロジェクトに従事。イスラム開発銀行のコンサルタントも経験し、30数カ国を踏査。石油関連事業でカタール、ベネズエラに駐在。

 キューバ危機では為政者の意思と無関係に勃発し拡大した第一次世界大戦を描いた『八月の砲声』(ちくま学芸文庫)が、核戦争回避に役立ったことが知られている。ケネディ大統領が愛読していたのだ。では、北朝鮮危機を前に読むに値する本は何か?

『The Guns of August』。八月の砲声の原著

 『核時計 零時1分前 キューバ危機13日間のカウントダウン』NHK出版(-ONE MINUTE TO MIDNIGHT-)を勧めたい。筆者はワシントンポスト紙のモスクワ支局長だったノンフィクション作家のマイケル・ドブス。ロシア、キューバ、アメリカの事情が公平に描かれている点が出色である。600頁を越える大著だが、安全保障に携わる日米韓の関係者、そして、これから歴史を作っていく若者に是非手にとってもらいたい。

『『核時計零時1分前キューバ危機13日間のカウントダウン』NHK出版(-ONE MINUTE TO MIDNIGHT-)』

 キューバ危機は今から50年以上も前のことなので、概要を知らなかったり、忘れている方々も多いだろうから、まずはアメリカとキューバの前史を略記する。

キューバ危機前史

 キューバ革命(1958)を逃れた亡命キューバ人1500人がCIAの支援を受けて、1961年4月、キューバのピッグス湾に侵入したが、杜撰な計画のために失敗。CIAと軍部はケネディ大統領にキューバ沖に展開していた空母上の戦闘機や艦船による直接支援を求めたが、大統領は拒否した。そのため1000人以上がキューバの捕虜となった。ケネディは弱腰を責められることになる。

 一方、弟のロバート・ケネディはCIAとともに、カストロ暗殺を含むキューバ破壊工作(マングース計画)を秘密裏に計画・実行していたが、成果は全くなかった。

 このような状況下、1962年10月16日、ケネディは、CIAがU2偵察機で写した准中距離弾道ミサイル(地対地核ミサイル)配備の写真を見せられる。こうしてキューバ危機が始まる。

 さて、以下は北朝鮮危機を前にもっとも参考となる本書の一部の抜粋と私のコメントである。

1.思いあがる軍人たち

 ペンタゴン(アメリカ国防総省)やCIAは空爆とキューバ侵攻を進言する。彼らはキューバという失地をぜがひでも、武力で取り戻そうとしていた。その象徴的人物が東京大空襲など、無差別爆撃と焼夷弾で日本の民間人数十万人の殺害計画を担った空軍参謀総長のカーティス・ルメイ大将だった。本書ではこう書かれている。

世界史上最強の戦略空軍がついているかぎり、アメリカは「あのロシアのクマ野郎(フルシチョフ書記長)」のタマをつかんだも同然なのだ。「いっそ、タマもとってやろう」

 コメント:アメリカの軍高官の多くは当時は思いあがっていたのである。 

2.杜撰な情報分析戦術核兵器があることも知らなかった

 キューバ侵攻の作戦全体の規模は、1944年6月のノルマンディ上陸作成(兵士15万人)にほぼ匹敵する。総計8個師団、およそ12万人の兵が、マリエル港からハバナの東にあるタララ・ビーチにいたる約65キロの海岸で一斉に行動を起こすことになっていた。もちろんその前にミサイル基地や飛行場への大規模な集中的空爆をおこなう。

 ところが、キューバを取り囲もうとしていたアメリカの先発部隊は、命令を受けて上陸したときに遭遇する事態について、ショッキングなまでに何も知らなかった。彼らは、敵の大半はキューバ人で、「ソ連圏からやってきた軍事技術者」が、(人数はわからないが)支援についているだけだと思っていた(実際には4万人以上のソ連兵が駐留)。しかもアメリカの諜報機関は「中ソ」合同の部隊と顧問団だという不可思議な見解を示していた。モスクワと北京の決裂が明らかになってからすでに2年もたっていたのに、である。10月25日に偵察機が撮影した写真には、地対地ロケット弾FROG(ルナ)を備えたソ連軍の戦闘部隊が写っていたが、ここから得られた情報は、10月26日金曜日午後のキューバ侵攻に向けて準備を整えていた海兵隊や空挺部隊のレベルにまでは伝わっていなかったのだ。

核弾頭を搭載できる戦場兵器がキューバにあり、しかもそれがソ連軍の管理下にあるという情報がアメリカの上級官僚のあいだに広まると、指揮官らは戦術核兵器の使用を求めて一斉に騒ぎだした。

 さらに上陸予定地点近くでは、これとは別に核弾頭を備えたFKR巡航核ミサイルが、何も知らないアメリカ軍を待ち構えていたのである。

核弾頭の保管場所もわからない

 偵察機の写真でマークしていながら、1メガトンの核弾頭が36発あった核弾頭の保管場所ベフカルは該当箇所ではないとされた。CIAの情報分析官は、

われわれは何重にもめぐらされたフェンスや路上のバリケードなど、特別に厳重な防護措置が施された箇所をさがせと命じられたが、そのようなものはいっさい目につかなかった。

 ケネディ大統領には、ミサイル燃料の一時保管に使われていた製糖工場(ソ連流の二重フェンスがめぐらされ、衛兵所がたくさん設けられていた)が核保管庫であろうと伝えていた。

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