オーストラリアは3月11日に東日本大震災が発生した直後、翌日直ちに緊急捜索救助隊を編成した。こういうとき、いつも出動するニューサウスウェールズ州の消防隊員たちだ(http://www.fire.nsw.gov.au/gallery.php?id=953&item=186)。
76人からなる捜索救難のプロ、つわものたちを率いたのは、同州消防局でナンバー4に当たるロバート・マクニール氏。マクニール氏は、ジュリア・ギラード同国首相が4月20~23日、来日したのに同行し、隊が活動した南三陸へ首相と一緒に出向いた。22日、同首相が菅直人首相に会った折、菅氏に渡されたプレゼントは、マクニール氏が活動中被っていたヘルメットだった(http://www.theaustralian.com.au/national-affairs/foreign-affairs/rescue-chief-rob-mcneil-thrilled-by-gillards-helmet-gift-to-japans-pm-naoto-kan/story-fn59nm2j-1226043351605)。
WEDGE Infinityは在日オーストラリア大使館の理解と協力を得て、マクニール氏に50項目以上の質問を送ったところ、同氏の懇切な、しかも依頼したとおり話し言葉ふうの回答が、4月26日に戻ってきた。以下ではこれを、逐語訳で紹介したい。重複部分を除いたほかは、とくに手を加えていない。
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読み取れるのはまずもって、隊員たちのプロフェッショナリズム、高い士気である。
米軍との密接な協力態勢があったことも、新鮮な発見だ。米軍は豪州チームを横田基地に迎え入れ、一夜の宿所を提供するとともに豊富な飲み水を持たせて現地へ送り出した。隊員の1人が思わぬアクシデントに見舞われたとき、緊急手術を施したのも米軍横田基地だった。オーストラリアからもらった善意は、米豪同盟に裏打ちされたものでもあったことがわかる。これはまた、軍事組織とシビリアンの協力が、こういう場合に非常に有効だという好例をなしている。
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豪州大使館には、少数だが日本語の使い手がいた。この人々の奮闘ぶりも、回答からはよく窺える。そしてオーストラリアは、全部で4機保有するだけの大型軍用輸送機を、一時ではあれ日本支援のため3機投入した。「パシフィック・アシスト作戦」と称し、米ベクテル社が福島第一原発事故処理のため提供した遠隔操作高圧放水砲システムをオーストラリアから横田基地まで空輸するために2機、マクニール氏ら捜索救助隊を運んだ1機に加え、追加投入したのである。ちなみに最初の1機は隊員たちを日本へ連れてきた後、自衛隊の車両を含む救援物資の輸送のため、日本の空を飛び続けた。また、後続した2機のうち1機は、中東でのミッションを中断して投入されたものという。
そのあたりを、マレー・マクレーン大使は豪州国民向けに詳しく説明している(http://australiahelps.gov.au/japan/2011/04/message-from-a\mbassador-mclean/)。マクレーン大使は、日本在任6年と4カ月で震災に居合わせ、多忙の日々を送った。これが日本大使として、ほぼ最後の任務となった。今年7月以降は、新任大使にバトンを引き継ぐ。
後日談もある。
南三陸の捜索に当たった隊員のひとりは、シドニー近郊、バンクスメドウという小学校(http://www.banksmeado-p.schools.nsw.edu.au/sws/view/1120643.node)へ出向いて被災現場で見てきたことを子供と親たちに話した。そのときの父兄の発案で、学校では子供たちをみな巻き込む支援の活動がいろいろと起きたのである。様子を映し、日本語字幕をつけた完成度の高いビデオレターが、学校のサイトに上がっている(http://www.banksmeado-p.schools.nsw.edu.au/sws/view/1712174.node)。最後のシーンで子供たちは言っている。「ガンバロー、ニッポン!」と、日本語で。
(谷口 智彦・元外務副報道官、慶應義塾大学大学院SDM研究科特別招聘教授)
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