遺体を見つけたときのこと
Q 生存者の発見には至らなかったと聞いています。しかし遺骸は(2体)見つけられたとか。どんな場所だったか覚えていますか。
A なにしろ、がれきの中でした。ふつうの民家よりは少し大きな、何かの建物の中からです。一面、がれきでした。
Q もしも特徴を言っていただけるなら、その亡骸の。
A 1人は男性の老人です。もう1人は女性でしたが、年齢はよくわかりませんでした。
Q そのご遺体を、どうしましたか。
A まず、青いビニールシートでくるむのです。そのあとで、日本人の係の人にわたしました。そこからは遺体安置所へ送られたと思います。
Q 見つけたときには、お祈りなどはするのでしょうか。
A 3月18日と19日、捜索活動が終わったとき、すべての犠牲者のため1分ずつの黙祷を捧げました。
Q 全体として、いちばん苦労の種になったのは。
A やはり移動の困難ですね。バスを確保し、ガソリンも見つけなくてはならず…。
捜索犬に顔面を噛まれ大けが
Q 捜索犬が、どなたか隊員を噛んでケガをさせてしまったそうですが。
A 起きたのは3月18日の朝です。犬が、がれきの隙間に挟まって、動けなくなってしまいました。消防士が1人、犬を抱えて助けてやろうとしたのですが、後ろから手を当てたんです。それが犬にはとても怖かったんでしょうね。いつも言うことを聞いている、担当の消防士ではなく、違う人にそんなことをされて。振り向いてガブっと。
Q 噛まれたケガの程度は?
A (顔の)整形手術が必要なくらいでした。
Q すると、どこかに移された?
A すぐにベースキャンプ(BOO)へ戻し、そこにいるわれわれのチームの医師が診断しました。これはすみやかに整形手術をした方がいいということになり、オーストラリア空軍の飛行機でまずは厚木へ。そこから横田基地へと移送しました。米海軍航空部隊(厚木)のみなさんはすばらしかった。とても世話になりました。
Q と、いうことは、米軍とはいつも交信できる状態にしていたのですね。
A 衛星回線をつなげてありました。
Q みなさんの仲間の医師や救急医療士と、地元の医師、看護師たちとの協力はどういうものでしたか。
A (南三陸から内陸へ入った登米市にある)佐沼病院の運営をしていた人たちと、われわれの医療チームとが連絡を取り合いました。オーストラリア政府からの許しも得たので、携行していた医療キット一式を佐沼病院に寄贈してきました。なにしろ物資の不足が大変な状況でしたし。
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