したたか者の流儀

2018年10月19日

»著者プロフィール
閉じる

パスカル・ヤン (Pascal Yan)

著述家

著述家。ルーヴァン・カトリック大学大学院中退(ベルギー)。証券マンとして25年間、欧州を中心に海外で過ごす。現在の職業は都内大学教授。

 

(alexis84/gettyimages)

 ダイアナ妃は、地雷撲滅運動でも有名であった。その一方で、地雷供給者の一味にもなったという話が欧州で時々聞かれた。大富豪であり、武器商人のモハメッド・アルファイドの別荘に滞在しながら、ショートステイでボスニア・ヘルチェゴビナにも出張ったという報道があった。その後すぐ亡くなったので、その話はうやむやになったが、10月になって亡霊のように再登場しつつあるので、状況を知るものとして一言。

 今回、イスタンブールのサウジアラビア領事館でアップルウオッチをしたまま拷問されて、死んだといわれるジャマール・カショギは、いわば日本の池上彰ともいえる著名ジャーナリストでもある。ジャマール・カショギは、60歳とはいえ、結婚のための種類が必要となりトルコのイスタンブールで母国サウジアラビア領事館に入って、一部報道ではアップルウオッチをしたまま八つ裂きにされたとされている。

アドナン・カショギとは何者か?

 1980年代、地中海のマジョルカ島の浜で寝そべっていると、大騒ぎがあった。アドナン・カショギの豪華船が、パルマに入港するというのだ。当時世界最高の個人所有の船といわれ、一目見ようと浜が騒然となったのだ。

 世界一の武器商人で大富豪のアドナン・カショギを知らない人はいなかった。日本では、一部の金融業者とその筋では有名であったが、いまだにピンとくる人は少ないだろう。逆に欧米では、ケネディー夫人の夫となったソクラテス・オナシス並みに超有名人であり続けている。

 アドナンの父親はシリア人の医者で、サウジアラビア国王の御殿医として鳴らした人物として、サウジアラビアでは名が通っている。その息子であるアドナン・カショギは、そのコネで世界一の武器商人となったのだろう。中東戦争続き、商売には事欠かなかったのだ。おかげで、ボーイングの自家用機やマンハッタンのアパートなどとともに、豪華船も手にいている。

 アラビア半島にいくつも土侯国ができたが、武装闘争で建国されたサウジアラビアを筆頭に国家運営の人材は多くはなかった。日本の明治初年のお雇い外人のようなもので、文明国であったシリアやヨルダン、イランからサウジアラビアに招聘した外国人のなかに、医者カショギがいたようだ。

殺された記者ジャマール・カショギは、武器商人のアドナンの甥っ子

 今回、イスタンブールで殺されたジャマール・カショギは、医師カショギの孫にあたると聞いて驚いた。そうであれば、武器商人のアドナン・カショギの甥っ子となってしまう。そうなると、死んだダイアナ妃とも本来であれば義理の従弟になってしまうのだ。

 武器商人アドナン・カショギは、その後、スイスで逮捕され、その後は精彩を欠いた人生となったが、最盛期サウジアラビアのジェッダのカショギ事務所で、お茶を出していたエジプト人モハメッド・アルファイドは、アドナン・カショギの妹を妻とし、武器ビジネスも乗っ取り、後にロンドンのハロッズ・デパートまで手にいれている。ついでにパリの最高級ホテル・リッツも手中に収めたのだ。

 彼の息子のドディはダイアナ妃まで、手に入れるところで、彼女と事故死してしまった。ちなみに死のドライブの出発点はパリのホテル・リッツである。

 事故が起きずドディ・アルファイド、すなわちアドナン・カショギ妹の子と、ダイアナ妃が予定通り結婚していれば、今回殺されたとされるジャマール・カショギは、ダイアナ妃の義理の従弟となっていたのだ。

 ジャマールは、サウジアラビアの事実上に最高権力者でクラウン・プリンスのムハンマド・ビン・サウド(M.B.S)が、忌み嫌う目障りなジャーナリストなのだ。

関連記事

新着記事

»もっと見る