チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年8月29日

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平野 聡 (ひらの・さとし)

東京大学大学院法学政治学研究科教授

1970年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部教授。アジア政治外交史担当。著書に『大新帝国と中華の混迷(興亡の世界史17)』(講談社)、サントリー学芸賞を受賞した『清帝国とチベット問題 多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)がある。

 新年早々チュニジアで燃え上がったジャスミン革命の烽火は、ついに42年来鉄壁の独裁を誇示し続けてきたリビアのカダフィーを打倒した。

 では、今や個人独裁ではないにせよ同じく独裁体制が続く中国では、果たしてネットを駆使したジャスミン革命は起こるのか? 春に見られたその試みは公安当局の森厳たる取締に遭遇し雲散霧消したが、いま改めて中国の今後の不透明さについて考えてみることは有益であろう。

中国は「共産党独裁」の国なのか?

 われわれ外界の人間は中国を共産党独裁の国と単純に見なすことが多いが、そもそもこの国は正確にはどのような体制なのか? その建前と現実の乖離を的確に把握してこそ、中国共産党と中国社会のあいだの潜在的な亀裂を知ることができよう。

 中華人民共和国が掲げる表看板=憲法によると、この国は全国人民代表大会を頂点として真に《人民的》な利益を集約・代表し、かつて人々を苦しめ利益を吸い取る封建的な独裁者や資本家、あるいは外国勢力の影響を排除した《人民民主主義国家》であるという。その実現のため、「反封建・反帝国主義」の伝統を誇る中国共産党が国家の指導的地位を保ち続けるほか、人民民主主義に賛同する諸政党(民主諸党派)や愛国的な人々と共産党との相互協力・相互監督が、「政治協商会議」「統一戦線工作」を軸に機能するとされる。こうして、上下相通じ活力に満ちた、《人民》のための健全な国家運営がなされるという。

巨大な既得権益にしがみつく中国共産党

 しかし、中華人民共和国約62年の歴史を通じ、そんな《人民的》な国家運営など成立した試しがない。毛沢東の狭い了見が全てを超越し、共産党の行き過ぎをただす当然の批判すら反党・反革命として超法規的に抹殺されて来た。とりわけ文革に至っては、「毛主席の絶対権威」なるものが紅衛兵の無邪気すぎる暴力とともに噴出し、毛の誤った経済政策の後始末に追われていた当時の国家主席・劉少奇すらその悲劇から逃れられなかった。

 中国共産党が改革開放へと転じ、史上稀に見る経済発展が続く中でも、共産党が《人民的》な利益を体現して国家を正しい道へと導くという主張が強調されこそすれ、「絶対的な権力は絶対に腐敗する」ことへの歯止めとして、人民代表大会や政治協商会議に期待された監督機能が活かされてきたとは言えない。

 例えば温家宝首相や改革派研究者が主張してきた政治改革は、いずれも空虚に陥ったこの機能を活用することを訴え、究極的には「党政分離」を訴えるものである。しかしそもそも中華人民共和国憲法が規定する通りに、共産党と政府が社会一般からの監督に常にさらされ、政治過程における透明性を担保する制度を最初から整備していれば、腐敗や恣意的支配の程度ははるかに低く済んだはずである。そのようにせず、「党が国家を指導する」という原則が生み出す巨大な既得権益に共産党自身がしがみついてきたからこそ、この種の議論が蒸し返されるたびに頑迷な保守派からの抵抗が巻き起こるという堂々巡りが繰り返されてきた。

高速鉄道、都市整備は共産党幹部の「点取り合戦」

 この結果、たとえば高速鉄道建設や華やかな都市整備、そして開発区の拡充など、表向きの成果が誰の目にも分かりやすい部門であればあるほど、経済的合理性よりも政治的恣意によって異常な盛り上がりが出現し、出世欲に飢える共産党幹部による点取り合戦の格好の舞台となってきた。そこで最も重要なのは、《人民のために服務》し、長期的な発展・繁栄につながるよう機能やサービスの質的向上を図ることや、効率と安全を両立させ生産性を高めることでは断じてなく、あくまで党幹部の「成績」である。そして、党幹部が社会のあらゆる部分に対して「上級の命令・指示」という名の影響力を行使し、制度化・透明性を免れ不正・腐敗を繰り返す温床が出来上がり、《人民》不在の蓄財・専横・摩擦が拡大再生産された。手抜き工事や強引な土地収用、そして環境汚染物質の流出による地域住民との紛争は数知れず、経済発展が進めば進むほど社会的な摩擦も激増したというのが「中国の特色ある発展」モデルの特徴である。 

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