この記事は、WEDGE10月号特集『空洞化最終章へ 腹をくくった経営者たち』内のユーシン社長・田邊耕二社長インタビュー記事です。
「自動車産業の仕事は、数年で5分の1になる。国内に残るのは高級車くらい。そうすると、社員の数も半減させなければならない」。ユーシン(本社・東京都港区)の田邊耕二会長兼社長は齢77、独立系部品メーカーとして半世紀以上を自動車産業のなかで生きてきた人の言葉だけに重い。同社は売上高約624億円(2010年11月期)、営業利益58億円のうち、自動車部門が約7割を占める。
ユーシンは、完成車メーカーに部品を提供する1次サプライヤー。1980年代半ばから海外進出を進めてきたが、新興国での“地産地消”が進み、「ここ数年で中国の金型が使えるようになり、価格も(日本より)4~5割安い」。加えてユーシンが進出したタイ、中国、メキシコなどは、日本人の賃金の10分の1以下。市場が縮小する日本国内で生産する意味は薄れる一方だ。
また、中国市場では「日系メーカーばかりではなく、地場メーカーにも販路を広げなければならない。そうすると、営業マンも日本人である必要はない」。12年にメキシコに新工場を立ち上げるが、400人の従業員のうち、日本人は10人以下だという。
写真:田中まこと
生まれ持った自主自立の精神
1次メーカーであるユーシンが海外進出をすれば、サプライヤーである、2次企業にも影響が出る。ワイヤーハーネスなどを生産するシージーケー(広島市東区)は、00年から中国へ委託生産という形で出ていたが、ユーシンの進出に合わせて02年に現地に製造会社を設立。下河内一成社長は「仕事がもらえる保証はなかったが、国内での仕事が減る分、海外で増やさなければならなかった」と話す。
売上規模が約40億円という同社にとって、海外進出は簡単な決断ではなかったはずだが、現地日系メーカーを中心に取引を増やし現在では400名の従業員を抱える規模へと成長させた。
ユーシンの自動車部門関連のサプライヤーは600社近くにもなるが、実際に海外に出ているのは、20社程度。田邊氏は、「2次、3次にも知恵を絞って頑張って欲しい」と話す一方で、「(約600社のうち)半分はなくなるかもしれない」と、見通しは厳しい。