使えない上司・使えない部下

2019年2月15日

»著者プロフィール

 今回は前回に引き続き、元プロ野球選手の柳田真宏さん(71)に取材を試みた。柳田さんは1948年、熊本県生まれ。九州学院高校卒業後、ドラフト2位で西鉄ライオンズに入団し、1968年に巨人軍にトレードで移籍。「黄金時代」と言われるV9(1965年~1973年まで9年連続、日本1)では、代打の切り札として大活躍。その後、外野手のレギュラーとなり、1977年には打率3割4分、本塁打21本、67打点で、「巨人軍史上最強の5番打者」と呼ばれる。1982年に引退し、1983年に演歌歌手としてデビュー。現在は、八王子市内でスナック『まむし36』を経営する一方、講演や少年野球教室の講師などを務める。

(gyro/gettyimages)

あの王さんに「おまえは、たいしたもんだよ」って言われたんですよ

 V9(1965年~1973年)の頃、やっぱり、レギュラーとして試合に出たかったですね。高校の頃は、ずっとレギュラーでした。甲子園には出ていませんが、九州では名が知れた選手だったんじゃないかな…。

 いざ、プロに入り、ジャイアンツにくると、選手の層が想像以上に厚かった。ベンチ入りの25人の枠に入ることも大変でした。代打でヒットを打っても、次はまた代打。ヒットを打つと、「明日はスタメンだな」と思って球場に行くわけですよ、張り切って。すると、また代打。どこがいけないのだろうな、とよく思っていたんです。

 黒江さんがコーチになられたとき、「ちょっとお茶を飲みませんか」と誘って、喫茶店で「なんで、自分は試合に出れないんですか」と聞いた。一瞬困ったような顔をしていました。「おまえは、けがが多いから…」と言われたんです。それ以上がなかった。黒江さんも、だんまりだった。僕は、何も聞けなくなってね。コーヒー代は、黒江さんに払っていただきましたけど…(苦笑)。

柳田真宏さん

 それで、いろいろと考えた。このままじゃ、ずっとピンチヒッターで終わる。野球人生は、代打要員で終わっちゃうんだな…。巨人にトレードで移籍し、5年目のときだったかな。レギュラーとして試合に出て活躍できる可能性のあるチームに移り、自分の技量がどれぐらいかを試してみたいという気持ちが強くなってきたんです。

 今年、こういう状態だったら、シーズンが終わったときにトレードでほかのチームに出してもらうことを球団に申し込もう。古場(竹識)さんが監督をしていた広島がいい、と思った。あるとき、たまたま、ジャイアンツの選手たちでお茶を飲んでいたときに、王さんが横を通られて、「おい、ヤナ(柳田さんのこと)」と言われた。そして、「おまえ、たいしたもんだな」と話された。「何がでしょうか?」と言ったら、「よく、1打席で結果を出せるな」って。

 あの王さんに「おまえは、たいしたもんだよ」って言われたんですよ。僕ら選手からすると、スーパースターじゃないですか。球界のトップクラスじゃないですか…。王さんは(現役の最盛期の頃)、1本足で立ったとき、ほかの選手が手で体をぐっと力強く押しても、ぐらつかなかった。本当に動かない。あそこまで築き上げるのは、僕らではわからないような努力をされていたはずです。僕の努力なんて…王さんに比べたら…。

 その王さんに言われたということをあらためて考えたときに、「俺は、王さんができないようなことをやっているのかな」と思い始めた。「よし、代打の切り札になってやる」と決めたんです。あの一言がなかったら、トレードを申し込んでいたでしょうね、間違いなく。

 長嶋さん? 長嶋さんからは、そのような言葉はなかったですね…(笑)。それで、いいんですよ。長嶋さんは、別格でしたから…。あれだけの人だから、おもしろいところもいっぱいありましたけどね。

 日本シリーズの試合前にミーティングをしたんです。サインの確認をするために、(ヘッドコーチの)牧野(茂)さんが手とか、帽子や胸を触り、サインを出す。「これは、何のサインだ?」って聞く。だいたい当たるのは、中堅から若手。川上さんが「長嶋にやらせてみろ」と言ったら、長嶋さんが「ちょっと待ってください」って。サインを全然覚えていないの…。みんなで、爆笑。

 その後、選手たちでお茶を飲みながら、長嶋さんに聞いたら「俺にはサインが出ていない」と言ったんですから…。実は、サインはいっぱい出ているんですよ。ペナント(レース)のときから。ただ見ていないだけなんです…(笑)。川上さんは、もう笑っていました。当時、新聞や雑誌には、川上さんと長嶋さんのことが「犬猿の仲」みたいに書かれてあったけど、あれは違いますよ。まったく違う。川上さんは、ONには絶対の信頼を寄せていたから…。

関連記事

新着記事

»もっと見る