日本人秘書が明かす李登輝元総統の知られざる素顔

2019年6月20日

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早川友久 (はやかわ・ともひさ)

李登輝 元台湾総統 秘書

1977年栃木県足利市生まれで現在、台湾台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学卒業後は、金美齢事務所の秘書として活動。その後、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフを務めるなどして、メディア対応や撮影スタッフとして、李登輝チームの一員として活動。2012年より李登輝より指名を受け、李登輝総統事務所の秘書として働く。

 2014年9月、李登輝は関西国際空港に降り立った。2007年から3年連続で訪日したものの、そこから5年間は機会がなかった。というよりは「奥の細道」散策の後半を辿るとか、台湾少年工の里帰り記念式典に出席するなど、計画が進められたこともあったのだが、体調を崩したりして頓挫してしまったのだ。

 このときの訪日では、初めて実現したことがあった。愛娘二人を連れての日本行きである。1945(昭和20)年、台湾は日本の統治下を離れた。李登輝も京都帝国大学での学業半ばで台湾に戻ることを余儀なくされたのである。その後、台湾大学に編入学し、農業経済学者としての道を歩み始めたことで、視察や研究の一環で日本を何度か訪れたことはあった。

台北市長時代の家族写真。左から李憲文さん、長女の李安娜さん、李登輝さん、奥様の曾文恵さん、次女の李安妮さん

 一人息子の李憲文が綴った文章にも、日本へ出張した父親が「最新のグラスファイバーの釣り竿を買ってきてくれる約束になっていた。タラップを降りてきた父の手に細長い包み紙があるのを見て、預け荷物にせず、自らの手で息子へのお土産を持ってきた父の愛情を感じた」と書かれている。

 しかし、家族を連れて日本へ旅行に行く機会は訪れなかった。現在でもそうだが、台湾の現職総統は日本訪問が不可能だ。そのため、総統に就任する前、最後に日本を訪問したのは副総統だった1985年のこと。国交が無いながらも関係が良好だった南米のウルグアイで大統領就任式典に出席した帰途、東京でトランジットしたのだった。

 余談だが、このとき、李登輝は初めて中嶋嶺雄・東京外国語大学教授(当時)と会っている。中嶋が書いた『北京烈烈―文化大革命とは何であったか』などの書籍を読んだ李登輝が、「これほど中国を鋭く観察している学者が日本にいるのか」と感嘆し、面会を申し入れたという。

 自民党議員との晩餐会のあと、ホテルオークラの一室で会った二人は深夜まで話し込み、中嶋は後に日本における李登輝の最も親しい友人のひとりとして「アジアン・オープン・フォーラム」を開催したり、2007年の「奥の細道」散策をお膳立てするなどして李登輝の対日交流を支えた。

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