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2012年3月30日

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宮本雄二 (みやもと・ゆうじ)

宮本アジア研究所代表。元駐ミャンマー特命全権大使。京大卒業後1969年に外務省入省。在中国日本大使館駐在は3回を数え、2002年から04年まで駐ミャンマー特命全権大使。著書に『これから、中国とどう付き合うか』(日本経済新聞出版社)。

4月1日に議会の補欠選挙が実施されるミャンマー。
選挙に初めて海外からの監視団を受け入れるなど、今までの軍事政権の国からの脱却が印象的だ。
新たな国づくりを始める親日国家・ミャンマーはいま、日本の支援を待っている。
日本は官民さまざまな分野で欧米に先行する気概でミャンマーと付き合っていくべきだと、元駐ミャンマー特命全権大使を務めた筆者は言う。

 ミャンマーでいま、大きな変化が起きている。新憲法に基づき2010年、総選挙が実施され、連邦議会が成立した。直前まで国軍ナンバー4の陸軍大将で首相だったテイン・セインが初代大統領に選ばれ、それまでミャンマーの国政を牛耳っていた保守派のタン・シュエ上級大将は、政治の第一線から退いた。

 アウン・サン・スー・チーも協力の姿勢を示し始めた。ミャンマーは、中国のインド洋への出口を抑えている。台頭する中国を強く意識してアメリカも関与を強めている。世界の企業もミャンマーへの関心を高めている。日本の1.8倍の国土に約6000万の人口を持ち、資源にも恵まれ、賃金も安い。ベトナムの3分の1、中国の9分の1に過ぎない。

 現代の日本人には、忘れられている感があるが、ミャンマーの国づくりの過程で日本は大きな貢献をしている。詳細は後述するが、今でも親日家が多い。日本はミャンマーにどう向き合うべきかについて、真剣に考える絶好の機会が訪れているのだ。

中国一辺倒の外交方針からの転換

 1990年以来、西側はミャンマーに対する制裁を次々に強化することでスー・チー率いる国民民主連盟(NLD)への政権移譲を迫ったが、成功しなかった。制裁は、周辺諸国の協力がなければ大した効果はない。日本は「西側の一員」として制裁に協力し、ミャンマーとの関係は次第に疎遠となっていった。

 一方、その間の中国の進出は目覚ましかった。中国にとってミャンマーは、雲南省において国境を接する隣国である。それにインド洋へのアクセスと資源に恵まれている。中国は90年代前半以降、ミャンマーに接近し、援助を増大した。シュエリー、イェーユワ水力発電所といった大きな案件を獲得していった。これを見て、国際社会は「ミャンマーが中国に取り込まれた」と錯覚した。

 だが、昨年9月、ミャンマーの新政府は、中国の投資によるカチン州のミッソン水力発電所建設計画の凍結を決めたのである。私の中国の知人たちも本当に驚いていた。

 しかし驚くにはあたらない。1886年に英国植民地になるまで、ミャンマーは鎖国を続けており、もともと外国人を信用しない国民性をもつ。それに文化大革命時代の中国は、ミャンマー共産党を全面的に支援し、ミャンマー国軍と熾烈な戦いをしている。この記憶が消えているはずはない。さらに経済的に豊かな中国系ミャンマー人の評判も決して良くない。タン・シュエは西側が大嫌いで、東南アジア諸国連合(ASEAN)とも折り合いが悪く、やむなく中国になびいたというのが実情だ。ミャンマーに新たな可能性が開けてきた時に、中国一辺倒から転換するのは時間の問題だったのだ。

 もちろんミャンマーにとって中国は強大な隣国であり、中国との関係は極めて重要である。中国には、今後も配慮するだろう。だが、同時に日・米・印・欧州連合(EU)などの大国との関係も可能な限り拡大し、中国との関係をバランスするだろう。それがミャンマー外交の伝統というものだ。

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