チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年4月11日

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城山英巳 (しろやま・ひでみ)

時事通信社外信部記者

1969年生まれ、慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社入社。社会部、外信部を経て2002年6月から07年10月まで中国総局(北京)特派員。 外信部を経て11年8月から2度目の北京特派員。11年、早稲田大学大学院修士課程修了。現地での中国取材は10年に及ぶ。16年5月に帰国し、現在外信部記者。近著に『中国 消し去られた記録〜北京特派員が見た大国の闇』(白水社)、著書に『中国臓器市場』(新潮社)、 『中国共産党「天皇工作」秘録』(文春新書、「第22回アジア・太平洋賞」特別賞受賞)、『中国人一億人電脳調査』(文春新書)がある。14年に戦後日中外交史スクープで13年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。

毛沢東を徹底的に模倣した薄熙来の政治手法

 薄熙来は重慶で何を画策したのか。一言で言うと、「毛沢東を徹底的に真似る」ことだった。毛沢東の政治手法について、毛が主導し、中国社会を混乱の淵に陥れた文化大革命(1966~76年)の研究で有名な北京の政治学者はこう解説する。

 「文革初期、大衆は毛沢東を非常に支持し、毛沢東を『好』(良い)と思った。毛は大衆に劉少奇や鄧小平を『悪者』と思わせ、2人を打倒した」。つまり毛は民衆の絶大な支持の下で独裁政治を敷いた。

 薄熙来が重慶市民の人気が高いのは事実だが、それは「重慶の毛沢東」を目指したからである。先の政治学者はこう続ける。

 「『平等』『公平』と訴えて大衆の支持を得ることに成功した毛沢東に学び、そして模倣し、重慶の大衆に薄熙来を『好』と思わせた」

 見逃してはいけないのは、薄熙来は、貧富の格差が深刻で、腐敗した役人や警察ら権力者が威張り散らし、それに大衆の不満が爆発している重慶社会の危険な現実を的確に把握していたことである。

 2007年の共産党大会で政治局員に昇格したが、希望した副首相に就任できず、重慶に飛ばれる屈辱を味わった薄熙来は、「地方で全国的な実績を収めることで5年後の党大会で最高指導部・政治局常務委員会に入ることを狙った」(中国紙編集幹部)。「矛盾が詰まった重慶ならば毛沢東のやり方が通用する」と思ったのも間違いない。

「重慶モデル」の宣伝で市民を惹きつける

 そして「打黒」「唱紅」「共同富裕」という「重慶モデル」という政治キャンペーンを展開するのである。

 自分の政敵を、大衆の忌み嫌う「腐敗幹部」として「打黒」の対象とし、法を無視してでも打ちのめす。大衆を動員し、毛沢東時代の革命歌(紅歌)を熱唱する「唱紅」では熱狂的雰囲気の中で、大衆に嫌な現実を忘れさせる。格差是正や平等・公平という政治スローガンを唱える「共同富裕」では毛時代に郷愁の念を抱く大衆を引きつけていく――。

 重慶で薄が強調したように、農民を新市民にする戸籍改革が軌道に乗り、貧困層に安価な住宅が行き渡ったのかは定かではない。しかし新聞などメディアを支配下に置いた毛沢東さながらの巧みな「宣伝」が効果を発揮したのは確実だろう。

 毛と薄の違いは何なのか。「日本など外資を積極的に導入したことだ」と指摘するのは薄に批判的な北京の中国筋。薄は年16%を超える超高度経済成長をつくり上げ、「庶民に発展の恩恵を実感させた」(重慶の外交筋)点で薄は毛より優れていたかもしれない。

 こうして重慶という「独立王国」で、強力なリーダーシップとカリスマ性を持った薄熙来は「ミニ毛沢東」となった。

 改革派知識人たちは、打黒の過程で、無罪の者を有罪にしたり、死刑に値しない者も処刑したりするなど、法を無視した捜査に最大の問題があると指摘するが、薄熙来は毛が文革時に実践したように、法やルールより、大衆からの喝采を重視した。

 逆に大衆から見れば、かなり強引でも「豪腕」を自分たちに示せる指導者でないと、社会矛盾を抱えた中国を統治することは難しい、という現実を知らしめたのが、毛沢東であり、今の薄熙来ではなかったのだろうか。

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