2024年4月26日(金)

渡辺将人の「アメリカを読む」

2012年5月2日

 このため、ティーパーティ支持層は、11年度の予備選前哨戦を通して最後までバックマン支持とポール支持で割れた。11年8月のアイオワ州模擬投票は僅差でバックマンが1位となり、2位のポールと票を分けた。ただ、この頃までの中西部のティーパーティ運動はバックマンとポールのライバル関係が、かえって運動のエネルギーとなっていた。

リバタリアンと社会保守の「同床異夢」

 バックマンは社会保守としては合格点だったが、リバタリアンや財政保守の間では、真に減税主義者なのか疑念の目を向けられていた。合衆国内国歳入庁(IRS)に税務弁護士として勤務したのちミネソタ州議会上院議員を経て連邦下院議員という経歴が、「公務員しかしていない」「税金でしかご飯を食べたことがない人が、ティーパーティ議連創設者なのはおかしい」という批判を招いた。バックマンの存在自体が、ティーパーティ運動をポール派のピュアな財政保守原理主義としてのリバタリアンと、社会保守系を含んだ「反大きな政府」「反知性主義」的な総合保守運動としてのティーパーティ運動から切り離してしまったとも言える。

 バックマン撤退後は、ティーパーティ支持層は一時期、テキサス州知事のリック・ペリーの支持に回ったりもしたが、ペリー撤退後はいよいよアイデンティティを宗教右派など元々の母体のアイデンティティに回帰させ、年末のサントラム台頭の原因の一つとなった。他方、ポール派は「ティーパーティ」という連合の仮面を脱ぎ捨て、リバタリアンという元の姿に戻って「反エスタブリッシュメント」の過激さを増した。無論、サントラム台頭の直接の原因は、バックマンとペリー撤退による宗教保守派のサントラム支持への傾斜と、「反ロムニー」の受け皿に、スキャンダルを抱えていたギングリッチがなりきれなかったなど複数の理由による。

ティーパーティ離れをしたポール派

 ロン・ポール陣営アイオワ州ジョンソン郡委員長のランディ・シャノンも、ティーパーティ運動は「乗っ取られた」として次のように語っている。

 「ティーパーティ運動の黎明期には、私も本当に興奮した。しかし、運動は変質してしまった。後から参加してきた連中が『私はティーパーティです、私こそティーパーティです』と叫び、今や誰もがティーパーティみたいだ。ポール下院議員がティーパーティのオリジナルの創成者のひとりだった。しかし、現在ティーパーティと呼ばれているものはもはやポールが作り上げたものと異質だ。ティーパーティは乗っ取られた」

 ポール派の元ティーパーティ活動家は、現在のティーパーティには共和党や主流のエスタブリッシュメントが入り込んできて、彼らの一部に包摂しようとしている主張していたが、振り返ればその後のティーパーティ支持層のロムニーへの傾斜や、運動の存在感の希薄化を予言する発言だった。

主流メディアと共和党内
「反ワシントン」パワーの不協和音

 ティーパーティ系の活動家の哲学には「反ワシントン」の感情があるが、彼らの声を全米運動に昇華させたのは間違いなくソーシャルメディアの力である。きっかけを与えたのは、CNBCの経済アナリストのリック・サンテリによる「ミシガン湖畔でティーパーティ運動を組織する」という生放送での叫びだったかもしれないが、それを広げたのはソーシャルメディアだった。


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