2024年4月24日(水)

渡辺将人の「アメリカを読む」

2012年5月2日

 アメリカ大統領選挙の共和党予備選は、サントラム候補の撤退で事実上、ロムニーに収斂した。共和党予備選を通して、浮き彫りになったのは根深い内部分裂である。

サントラムの善戦の背景にある
「大きな政府の共和党」への反発

 突如として有名になった元連邦上院議員のサントラムは、ワシントンでは2006年連邦上院選挙で落選した「過去の人」の扱いであった。連邦議会でも人工妊娠中絶という単一争点に拘泥する宗教保守政治家で、大統領の器ではないと考えられていたが、そのサントラムが思いがけず善戦したことが、2012年共和党予備選の第1のサプライズである。

 サントラム陣営は「反ロムニー」票の主たる受け皿になったが、言い換えれば共和党の内部分裂に助けられたとも言える。この内部分裂を理解するには、時計の針を少なくともジョージ・W・ブッシュ政権まで戻す必要がある。共和党財政保守派は、イラク戦争が泥沼化したブッシュ政権2期目以降、益々増大する支出と財政赤字に苛立ちを募らせていた。決定的だったのは、08年金融危機後に同政権が打ち出した金融安定化のためのTARP(不良資産救済プログラム:The Troubled Asset Relief Program)であった。ティーパーティ活動家の大半が、TARPが運動覚醒の原因だったと語る。

 もちろん、その直後に誕生したオバマ政権が、医療保険改革、大型景気刺激策、GM救済などを矢継ぎ早に打ち出したことで、ティーパーティ運動は全米に拡散した。しかし、ティーパーティはただの「反オバマ」運動ではなく、同運動を誘発したのは、共和党の「内なる問題」であったことは改めて認識しておいてよいだろう。2010年中間選挙で、共和党現職候補をティーパーティ系新人候補が脅かす事態が予備選挙で起きたのは、記憶に新しい。ロムニーのマサチューセッツ州知事時代の過去の政策が象徴する「穏健な共和党」への反発には、「もうブッシュのような大きな政府の似非共和党政権はいやだ」という警戒感が滲んでいた。

台風の目「ティーパーティ運動」はいったい何処へ?

 今回の2012年共和党予備選の第2のサプライズは、台風の目になると見られていたティーパーティ運動が、表向きには存在感を見せなかったことである。1つはティーパーティ運動元祖の一人であるロン・ポール連邦下院議員の支持者層が、ティーパーティから離脱傾向にあることだ。

 筆者は07年10月から継続してアイオワ州の党員集会政治を定点観測しているが、11年3月及び8月の滞在時には、ティーパーティ運動の勢いはまだ凄まじかった。しかし、12年1月のアイオワ党員集会で会ったポール派の有権者は「元ティーパーティ」であって、「ティーパーティ」と呼ばれることを嫌悪していた。なるほど、CNNの出口調査等でもティーパーティを自称する有権者がポール支持者に少なくなっていた。

 ロン・ポールが先駆をつけた「小さな政府」運動としてのティーパーティ運動は、憲法修正10条運動という州の権限を尊重する「憲法保守」だったが、オバマ政権誕生後、運動が全米化する過程で、宗教右派を含む雑多な保守層が合流してきた。ミシェル・バックマンのような人工妊娠中絶などの社会保守争点を重視する議員や、ポール的なリバタリアニズムや孤立主義とは相容れないサラ・ペイリンらが、ティーパーティの全米的な顔として報道され、社会保守争点と外交争点の二正面でティーパーティの「分裂」の兆しが見えていた。


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