日本各地、坂本龍馬の足跡を明かす施設は数多い。中には、お龍との新婚旅行で訪れた場所、そう自慢する観光地などもあって、思わず苦笑させられる。日本史上屈指の人気者ゆえだろう。
龍馬とは、簡潔にいえば、犬猿の仲だった薩摩と長州の仲を取り持ち、討幕から明治維新へ、歴史の大変革に大きく貢献した人物、それに尽きよう。その主たる舞台となったのが長崎の料亭「花月」であった。
2階にある大広間「竜の間」からは800坪の広大な日本庭園を一望できる。龍馬のほかにも勝海舟や岩崎彌太郎など数々の要人が好んで訪れていた。岩崎は自身の日記に庭園内にある池に酔っ払って落ちたことを記している
龍馬の活躍は勝海舟に弟子入りしたことから始まる。幕府海軍の創設を託された海舟のもと、神戸海軍操練所の設立に奔走した龍馬は、行く先々で雄藩要人との人脈を広げてゆく。海舟の失脚後もその膂力、胆力は衰えず、1865(慶応元)年には、薩摩の支援を得て長崎に亀山社中を結成する。海援隊の前身となる組織で、日本初の商社であった。
当時の長州は薩摩の策謀によって京都を追われ、外国船打ち払いの報復で下関を砲撃され、さらに、幕府の征伐を受けて苦境の真っただ中にあった。幕府から外国製の武器購入を禁じられた長州に対し、龍馬は薩摩名義で武器を購入して横流しし、一方、コメの調達に苦心していた薩摩に対して長州からの回送を提案し、両者の利害一致にこぎつける。その輸送は亀山社中が担い、これを梃子にして薩長の盟約締結を周旋する離れ業をやってのけたのである。
ここから歴史は大きく旋回してゆくのだが、龍馬のこの暗躍には英国商人のグラバー、龍馬のパトロンだった長崎の茶商、大浦お慶が大きな役割を果たしたとされる。3人がよく通ったのも無論「花月」であり、そこには密談に打ってつけの一室も用意されていた。

