現代人には「死生観」が欠けているのではないか――。
今回の闘病生活を通して、私はそのことを強く感じるようになった。
人は誰でもいつか死ぬ。これは太古から変わらない真理である。だが現代社会では、この当たり前の事実がどこか遠い出来事のように扱われている。医療が発達し寿命が延びた結果、死は家庭から消え、病院の奥へと押し込められた。人々は死を日常から切り離してしまったのである。
死を見ない社会は、生き方を見失う。死を考えない人間は、生き方を確立できない。私はがんという病気を通して、そのことを身をもって知ることになった。
医師から「ステージ4」と告げられたとき、さすがの私も一瞬、言葉を失った。長年、世界の資源の荒野を歩き、数えきれない修羅場を潜り抜けてきた男であっても、その言葉の重さには立ち尽くすしかなかった。
私の体は、医療という名の戦場になった。
大腸を20センチ切除し、肝臓に転移していた腫瘍を9カ所切り取り、左肺の転移がんを切除し、さらに右肺の3カ所の腫瘍を取り除いた。腹も胸も手術の跡だらけである。まるで戦場から帰還した兵士のような体になった。
それでも私は生きている。そして奇跡的に寛解した。
医師や看護師、家族や友人の支えがあったことは言うまでもない。しかしそれだけではない。私の中には「まだ終わらない」という感覚があった。
人生の旅は、まだ途中なのである。入院中、私はよく病院の中を歩いた。安静にしていろと言われても、どうしても病棟の空気を知りたかった。そこで何度も足を運んだ場所がある。
緩和ケア棟である。
不思議なほど正確に、その時期に旅立つ
そこには末期がんの患者が入院している。私は何人もの患者と話をした。すると一つの事実に気づいた。
緩和ケア棟に入った患者は、ほとんどが1カ月ほどで亡くなるのである。しかも不思議なほど正確に、その時期に旅立っていく。
多くの患者がこう言う。
「先生に1カ月と言われました」
そしてその言葉通りに亡くなるのである。もちろん医師は膨大な症例と経験から余命を判断している。医学的には合理的な判断であろう。しかし私はどうしても考えてしまう。
人は宣告された時間に合わせて死んでいくのではないか。人間は「もう終わりだ」と思った瞬間から、生きる力を急速に失う。逆に「まだやることがある」と思っている人間は簡単には倒れない。
私は資源ビジネスの世界で何度もそれを見てきた。最後に勝つのは知識でも体力でもない。「執念」である。生きることへの執念だ。
