2026年3月14日(土)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2026年3月14日

 緩和ケア棟で患者と話していると、さらに奇妙な現象にも気づいた。そこに入った患者には、次第に「死相」が現れ始めるのである。

 最初は小さな変化である。言葉に力がなくなる。話し方が弱々しくなる。目の奥の光が消えていく。覇気がなくなっていくのである。そしてある瞬間から空気が変わる。希望を失い、諦めが先行したとき、例外なくその兆候が現れる。

 顔つきが変わる。声が変わる。雰囲気まで変わる。私はそれを何度も見た。まるで死神に取り憑かれたような空気である。

 医学的に説明できるかどうかは分からない。しかし人間の直感はそれを感じ取る。体から発せられる「生の気配」が消えていくのだ。

人は病気だけで死ぬのではない。希望を失ったときに死ぬのではないか

 その姿を見るたびに私は考えた。人は病気だけで死ぬのではない。希望を失ったときに死ぬのではないか。ここで私はさらに一つの疑問を持つようになった。仮に主治医から生存期間を告知されたとして、患者に強い執念があれば、本当に簡単に旅立つものだろうか。

 私はそうは思わない。医師の言葉は重要な意見である。しかしそれは医学的な予測であって、人生の結末を決める絶対的な宣告ではない。

 人の運命とは、本来、自分で選び取るものではないだろうか。医師の意見に人生を委ねる必要はない。非科学的だと言われるかもしれない。しかし私はこう考えている。

 宿命は変えられないかもしれない。しかし運命は自分で変えることができる。どこに生まれるかは選べない。どんな病気になるかもある程度は避けられない。だが、その後どう生きるかは自分で決めることができる。

 私はまだ旅をしたい。まだ書きたい。まだ家族と笑いたい。その思いがある限り、人は簡単には終わらない。

AIは死を経験しない

 ここで、もう一つ現代の象徴的な存在について触れておきたい。

 AIである。私はAIの研究を過去3年間続けてきたが、AIにも限界があると確信している。AIには膨大な知識がある。過去のデータや論文、統計から合理的な結論を導き出す。しかしAIには「死生観」がない。

 AIは死を経験しない。AIは生きる執念を持たない。つまり、生きることの意味を本当の意味では理解できないのである。さらに言えば、AIの判断はすべて過去のデータに基づいている。もし明日、人類が画期的ながんの治療法を発見したとしたらどうなるだろうか。

 これまでの統計やアルゴリズムは一瞬で無意味になる。余命の予測も、医学の常識も、すべて覆される可能性がある。

 つまり未来は、過去のデータだけでは決められないのである。AIは神の存在を証明することもできない。運命の存在を証明することもできない。

 人間の人生には、合理的な説明では割り切れない領域がある。私はそれを信じている。命には限りがある。私もいつかこの世を去るだろう。しかしその日までは、生きる。最後まで生きる。

 それが死生観である。腹にも胸にも手術の跡が残った。しかしそれは敗北の印ではない。戦い抜いた証である。今の私は以前よりも静かな気持ちで生きている。焦りも恐れもない。

 ただ一つ確かなことがある。人生は有限である。だからこそ面白い。だからこそ燃える。緩和ケア棟で出会った患者たちの顔を、私は忘れない。彼らの人生にも、それぞれの物語があったはずだ。

 もしもう一度時間があるなら、彼らに伝えたい。人は宣告で死ぬのではない。諦めたときに死ぬのである。山師の人生も、まだ終わってはいない。荒野の旅は続く。次の地平線の向こうに何があるのか。

 それを見るまでは、私は歩き続けるつもりである。

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