日本留学で背負った年収に匹敵する借金
それでも日本で働きたい
首都圏で桜が満開になっていた3月末――。ベトナム人留学生のタン君(仮名、22歳)は焦っていた。2週間前に2年間在籍した日本語学校を卒業したが、就職先が見つかっていなかったのだ。留学ビザの在留期限が切れる1カ月後にまでに就職が決まらなければ、ベトナムに帰国するしかない。
「何もいいことはありませんでした」
留学生活を振り返っての感想を尋ねると、タン君は同席していたベトナム人の通訳を介し、そう答えた。日本で2年暮らしても、彼の日本語は簡単な会話がやっと成立する程度だ。勉強そっちのけで仕事に追われてきたのだから無理もない。
日本への留学で背負った借金はまだ100万円近く残っている。来日前にベトナムでやっていた映像関係の仕事の年収に匹敵する大金だ。しかし、ベトナムに戻っても仕事の当てはない。
「就職がダメでも、また日本に戻ってきて働きたい」
つらいことばかりの留学生活だったというのに、タン君は再来日の希望を持っている。しかし、ひとたび帰国すれば、日本へ戻ってくることは簡単ではない――。
タン君はベトナム最南部に位置するカマウ省の出身だ。家族は両親と、5歳下の弟が1人いる。タン君が子どもの頃、両親は小さな商店を営んでいた。しかし今は閉じ、母が整体師として家計を支えている、収入は日本円で月2〜3万円ほどに過ぎない。
タン君は高校卒業後に働き始めたが、しばらくして上司と喧嘩して辞めてしまった。そんなとき、母から日本への留学を勧められた。日本での出稼ぎ経験のある従兄弟が、留学生の送り出し業者で働いたのだ。
「日本に留学すれば働け、ベトナムにいるよりずっと稼げる。学校を卒業すれば就職もできるぞ」
従兄弟からそう言われ、タン君の心が動いたという。
「ベトナムにいても仕事が見つかる当てはありません。だから僕も従兄弟のように日本へ行って稼ごうと思ったんです」
日本へ出稼ぎに行くベトナム人は2010年代に入って急増した。ベトナム経済は当時から成長軌道にあったが、その恩恵は庶民の暮らしにまで及んでいなかった。海外への出稼ぎは貧困から抜け出すための大きな手段だ。とはいえ、ベトナム人を受け入れてくれる国は多くない。そんな中、人手不足が深刻化した日本がアジア新興国出身者に就労の門戸を広げたことで、ベトナムで日本への「出稼ぎブーム」が巻き起きる。
2010年には4万1781人に過ぎなかった在日ベトナム人は、25年末までに68万1100人に上っている。国籍別で93万428人の中国人に次ぐ数で、3番目に多い韓国人の40万7341人を大きく上回る。
ベトナム人は主に「技能実習」もしくは「留学」の資格で来日する。留学は本来「勉強」が目的だが、新興国出身者には出稼ぎに利用する者が少なくない。留学生にアルバイトが認められるからだ。
ただし、留学ビザは日本でアルバイトをしなくても学費や生活費をまかなえる経済力のある外国人に限って発給される。新興国の庶民にとって到底クリアできない条件だ。そこで留学希望者は送り出し業者を頼る。親の年収や預金残高が大幅に水増しされた書類を作ってもらい、経済力があるよう偽ってビザを取得するのだ。
10年代の日本は「留学生30万人計画」を通じ、留学生を増やそうと躍起になっていた。だが、先進国の若者や新興国の富裕層に限ってビザを発給していれば留学生は増えない。そこで新興国の留学希望者が提出する“水増し書類”を厳しく審査せず、ビザを出し続けた。結果、出稼ぎ目的の“偽装留学生”が日本へ大挙押し寄せることになる。その中心にいたのがベトナム人だった。
円安によって急激に失われた日本の魅力
そんな中でも、日本行きを決断
新型コロナ禍前のピーク時には、ベトナム人は留学生だけで8万人近くに達し、留学生全体の4人に1人近くを占めた。しかしその後、状況が変わった。ベトナムでの賃金上昇に加え、22年頃から急速に円安が進んだことで、出稼ぎ先としての日本の魅力が急激に低下したのだ。
外国人留学生の数は25年末時点で過去最高の46万4784人に達し、21年の20万7830人から、わずか4年で2倍以上急増している。しかしベトナム人に限っては4万7145人へと、ピーク時の6割程度まで減った。
日本への留学には、日本語学校への初年度分の学費や送り出し業者への手数料などで150万円前後が必要だ。この費用を多くのベトナム人留学生は借金でまかなうが、そこまでして日本へ偽装留学しようという者はもはや多くない。こうしてベトナムの「出稼ぎブーム」が急速に萎みつつあった頃、タン君は日本行きを決断した。
従兄弟が働く業者は日本語学校も営んでいた。留学生や実習生を日本へと送り出す業者が日本語学校を併設するのは、ベトナムに限らず新興国では一般的だ。留学生、実習生ともビザ取得には、母国で初歩レベルの日本語を学ぶことが条件になっている。
