2026年5月4日(月)

偉人の愛した一室

2026年5月4日

 大谷崎(文壇ではしばしばこの特別な称号が用いられる)が関東大震災で焼け野原となった東京から関西へ逃れたのは、その年、1923(大正12)年暮れのことだった。

 住んだのは大阪と神戸をつなぐ阪神間、海と山に囲まれた温暖な気候が好まれ、多くの富裕層が邸宅や別邸を設けていた地域であった。谷崎が今に読み継がれる多くの名作を残すのは、実はこの地に住んだ時期のことなのである。

作中の邸宅と間取りは同じだが、実際の広さは一回りほど、こぢんまりとした印象の佇まい。作中の描写を記した解説パネルが各部屋に掲出されているため、登場人物たちの暮らしぶりを細部まで想像することができる(WEDGE以下同)写真を拡大

 ヨーロッパの自然主義文学を取り入れることから出発した日本の近代文学は、私小説という独自の文学世界を生み出した。乱暴を承知で言えば、人はどう生きるべきか、人生とは何かを追求するのが文学だとする価値観であり、生真面目で堅苦しい作品世界へと傾斜していった。

 そんな中にあって、谷崎は耽美主義やフェティシズム、エロティシズムの色濃い作品のみならず、ミステリー性やサスペンス性に富む小説、歴史小説やヨーロッパ流の風俗小説まで、幅広い作品を世に問うてゆく。それが大正モダニズムに沸く社会風潮ともマッチして、一躍、人気作家へと駆け上った。移住はそんな頃だった。

 水を得た魚のごとく、谷崎は『痴人の愛』や『卍』、『蓼食う虫』、『春琴抄』など、耽美的かつ背徳的な問題作を立て続けに発表する。さらには、佐藤春夫との間で〝細君譲渡事件〟を起こし、2度の離婚を繰り返すなど、私生活でもスキャンダラスな話題を振りまいた。だが、その高い芸術性は海外においても評価が高く、何度にもわたりノーベル文学賞の候補に挙がっていたことが後に明かされている。その世界的な評価は現在、一層高まってもいる。


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