日本の洋画壇をリードした小磯良平の代表作《日本髪の娘》が90年ぶりに里帰りし、神戸の美術館で公開された。長く所在が不明だったが、2008(平成20)年、韓国国立中央博物館に保管されていることが確認された。
縦166センチ・メートル×横136センチ・メートルのこの大作が発表されたのは戦前の1935(昭和10)年、朝鮮の李王家が購入してかの地に渡っていたもので、長い交渉を経て待望のお披露目となった。地図を見ると、そう遠くない場所には谷崎潤一郎が代表作『細雪』を執筆した旧宅も遺されている。編集部に勝手を言わせてもらって神戸に出かけた。
小磯は03(明治36)年に神戸で生まれた。生家は貿易商を営む富裕なクリスチャン一家で、豊かでモダンな空気の中で育つ。東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学すると、2年続けて帝展に入選、特選となった《T嬢の像》は和服姿でソファに腰を下ろす若い女性を独自のタッチで描いており、その画才はすでに花開いている。首席で卒業した翌年にはパリに渡った。
小磯はパリで、アングル、マネやドガといった巨匠たちに影響を受ける一方、群像表現に目を開かされ、それを極めることを生涯の目標とした。後年、迎賓館赤坂離宮の大広間に描かれることになる大作「絵画」と「音楽」にその結実を見ることになるのだが、留学から帰国し、まず精力的に取り組んだのは洋画の技法を使って和装の女性を描くことだった。そこに生まれた傑作が《日本髪の娘》であり、併せて展示されている《着物の女》他の作品だった。
ここに見られるのは卓抜したデッサン力、表現力で描かれる新たな女性像である。装う着物は絹の光沢から質感まで見事という他なく描き出されるのだが、ゆったりした姿勢や何気ない表情から受ける印象は、どこか自由な空気を纏うモダンな女性の像である。ありていに言えば、神戸のハイカラな女性がそこにいる。《日本髪の娘》のモデルは神戸の友人の妹であり、小磯はこの画を描くために百貨店に出向き、モダンな図柄をあえて買い求めたという。
小磯が追求したのは西欧と日本、異なる文化の邂逅と融合を表現することであり、つまりは神戸という町に住む人々を描くことだった。そこにはパリでつかみ取った思い、日本人が洋画を志すとはどういうことか、それを探求しようとする覚悟があったように思う。生涯のほとんどを神戸で過ごした小磯だったが、そこは生まれ育った地という以上の深い意味があった。それはまた、西欧に学んだこの時期の芸術家たちが等しく抱いた問いでもあった。
その後の戦雲の高まりの中、小磯は藤田嗣治らとともに戦地に赴き、帰国後は群像表現としての戦争画に取り組む。だが、日本の敗色が濃厚となる中、神戸の大空襲によって屋敷やアトリエ、作品の多くは焼失してしまう。それはまた、豊かでハイカラな神戸の消失でもあった。
