2026年3月29日(日)

偉人の愛した一室

2026年3月29日

当時の気配が静かに宿る
創作の場

 戦後、神戸各所で借り住まいを続けた小磯は、46歳となった49(昭和24)年、新たに自宅とアトリエを設けた。場所は住吉山手(現・神戸市東灘区)で、屋敷の広さは戦前とは比ぶべくもなかったが、アトリエは十分な広さに造られた。その主要な部分がいま、記念美術館の中心に移築保存されている。

葡萄や紫陽花など四季折々の植物が植えられた庭も小磯にとって大切な創作の「場」となっていた

 外観は洋館の上に古い日本家屋の2階を乗せたような造りで、小磯が追い求めた異文化の融合が感じられないこともない。これを囲む庭園も和洋混じり合い、可能な限り、かつての風情を再現しているという。

 内部は、応接室などに使われた場所がいま展示スペースとなり、画家が愛した淡いグリーンの色調で統一されている。その奥が往時のままに再現された画室である。

 北側は胸高から上が高窓で覆われ、柔らかな光が差し込むよう設計されている。南は庭に出られるようガラス扉を設け、その左右に大きな書架を置いている。広さはおよそ10畳ほどだろうか、それでも天井が高いのでゆったりと感じられる。外には往時、ブドウ棚が作られていた。

美術館の中庭内に作られた庭も往時の雰囲気を再現している。窓枠やドアの特徴的な淡いグリーンは「小磯カラー」とも言われている

 見どころは、所狭しと置かれた家具ほかの品々だろう。バイオリンやリュート、シンプルな木製机に乗せられたガラスコンポートや珈琲ミルなど、みな小磯の静物画で見覚えあるモチーフばかりで、他にもモデルが使ったパラソルや帽子、椅子などがそのまま残されている。いまにも画家がそこに現れて、絵筆を取りそうな空気感を醸し出す。机には絵の具が山のように盛り上がったパレットが。小磯はパレットを洗わず、そのまま絵の具を上に乗せてゆくのが癖だった。

さっきまで描いていたのではないかと錯覚するような絵の具が山盛りになったパレット
床は解体後に元通りの位置に並べられたため、飛び散った絵の具もそのままに残っている
モデルが身に着けていた帽子や傘も置かれており、どの作品に登場したものかを思い浮かべながら眺めるのも面白い
筆などの画材も実際に使用されていたものだ

 戦後の小磯は、藝大教授となって後進の育成にあたりつつ、舞妓をはじめ様々な女性像を描き続けた。衰えぬデッサン力、人物の内面までが写し取られたような表現力で、変わらぬ人気を博した。八千草薫の可憐な美しさを描く2作が今回、展示されていたが、私が惹かれたのは、歳を重ねた妻を描いた肖像画だった。2人の娘の少女時代の画とともに、小磯は生涯、これを手元に置いて手放そうとしなかった。画家の眼が追っていたのはハイカラな神戸ではなく、家族が仲睦まじく暮らす神戸だった、そんな気がした。

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Wedge 2026年3月号より
酷似する「戦間期」と現代 第三次世界大戦を防げ
酷似する「戦間期」と現代 第三次世界大戦を防げ

「新しい戦前になるんじゃないですかね」─。今から4年前、テレビ朝日の『徹子の部屋』でタモリさんが口にした言葉だ。 どのような意図で発言したのかはわからない。ただ、コロナ禍だった当時、全体主義体制を称揚するような空気が漂い、議会制民主主義の危機も顕在化し、「1930年代」に時代が近づきつつあると感じていた私は、その言葉に妙な〝重み〟を覚えずにはいられなかった。 昨今の様々な出来事を見るにつけ、その感覚は確信へと変わった。時代は、当時の「戦間期」を思わせる局面に入り、大国指導者が世界の行方、人類の運命を左右する時代になったのである。このままでは、最悪の場合、第三次世界大戦が起こる可能性も否定できない。 ただ、もし戦争になったとしても、大国指導者たちが戦場に行くことはない。いつも犠牲になるのは、市井の人々である。 英国を代表する歴史家、A・J・Pテイラーは、『ウォー・ロード 戦争の指導者たち』(新評論)最終章で日本のことを取り上げ、こう指摘している。「日本は戦争の指導者はただの一人もいなかった」 つまり、指導者不在のまま、日中戦争、太平洋戦争へと突き進み、日本は破滅したのである。当時、大衆も熱狂し、政治はそれに流された面もある。 一度始まった戦争を終わらせることは容易ではない。それは4年が経過したロシア・ウクライナ戦争を見れば明らかである。動乱の時代、今こそ歴史に学び、教訓、希望を見出し、この危機から「脱出」する必要がある。


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