2026年6月12日(金)

中国の回鍋肉にキャベツは使わない

2026年6月12日

「爆買い」や「キャッシュレス化」など、中国人にまつわる社会現象を切り取りながら、中国という国の本質を浮かび上がらせてきたジャーナリストの中島恵さん。多くの中国人を取材する中で、いつもそこには中華料理がありました。記者としての冷静な視点とエッセイならではの温かな語り口で、中華料理を通じて中国という国を多面的に記録した新刊『中国の回鍋肉にキャベツは使わない』(ウェッジ)から、今回特別に「はじめに」を先行公開いたします。

 「中島さんは〝一食入魂〟の人ですね!」

東京近郊を中心に広がるガチ中華ブーム。写真は池袋

 確か20代後半の頃、食事会の帰り道だったと思う。唐突に知人からこんな言葉を掛けられて、思わず苦笑したことがある。

 私が子どもの頃に流行った野球マンガでよく見かけた言葉「一球入魂」ならわかるが、「一食入魂」とは! 私の中華料理好き、中華料理店探しにかける情熱を見て、その人は思わずそんな言葉を思いついたようだ。

 私は中学生の頃から中国に興味を持ち、中国とかかわること、マスコミに就職して記者になることをずっと夢見てきた。

 26歳の終わり頃、やっと入社できた小さな新聞社をわずか4年半で退職してしまい、香港の大学に留学した。私の中華料理好きは、その時代に飛躍的にパワーアップした。

 帰国後、選択肢がなくて、29歳になる手前で、急場しのぎでフリーランスのジャーナリストになった。中国のことも書いたが、最初の10年間くらいは、生活のため、さまざまな雑文を書いて暮らしていた。

 東京での生活が少し落ち着いたところで、どういう経緯だったのか忘れたが、友人らと2か月に1回くらい、「中華料理を食べる会」というものを開催した。

 東京都内にある、評判のいい中華料理店を探して食べ歩くというだけの会で、主に私がお店探しを担当。その会は数年間続いた。ほかにも、会の名前をつけるほどではないが、大学時代の友人、同じマスコミ業界の友人と、その都度メンバーを変えて、さまざまな中華料理を食べ歩いた。

 その頃、インターネットはあったものの、今みたいに毎日のように検索するという習慣はなく、スマホもなく、SNSなんていう、ややこしいものも存在しなかった。

 あの頃どうやってお店を調べていたのか、今となっては詳しく思い出せないのだが、料理雑誌がたくさんあったり、週刊誌もまだ元気だった時代なので、おそらく、そういう媒体でお店をチェックしたり、友人に情報を教えてもらったりして新規開拓を楽しんでいたのだと思う。

 不思議と「当たり」のお店が多く、友人から感謝されたり、自分も悦に入ったりして、それが新しいお店開拓のモチベーションになっていた。

山西省の名物、莜面(ヨウミェン)

 30代から40代は取材のため、頻繁に中国や香港に出かけるようになった。昔は中国に行くにはビザを取得する必要があったが、その後、15日間ビザなし渡航ができるようになったので、たいてい中国への取材旅行は14日間だった。

 1日少なくしたのは、何が起こるかわからない中国で「いざというとき」のために取っておいただけで、幸い「いざというとき」は起こったことがない。その頃、中国に行くときの私の脳裏には、いつもアメリカ映画『ロッキー』のテーマ曲が鳴り響いていて、戦闘モード(笑)。行動は常に注意深く、視野は常に広く、取材する気力に満ちあふれていた時期だった。

 中国滞在のコースは大都市→地方都市→大都市という順が多かった。たとえば最初に上海に入り、数日間取材をして空路で湖南省に移動。湖南省で数日間取材をしたら、次は北京に移動して数日間過ごし、そのまま帰国という感じだ。

 途中に地方都市を挟んだのは、大都市だけ見ていると、中国という国は理解しづらいからである。できるだけ地方にも足を運び、自分の目で見て、耳で聞いてみるように心がけた。

日本で人気の町中華メニュー、広東麺。実は広東省にはない

 大学時代にバックパック旅行で行ったような奥地には日程の都合でなかなか行けなかったが、それでも地方にちょっと足を延ばすだけで、大都市にいるだけではわからない、細かいことに気づくことができて、収穫は大きかった。

 移動の際に使う国内線の空港や機内、高速鉄道のホームや車内、駅のトイレ、タクシーの運転手さんとの会話も、私にとっては大切な取材現場で、一つひとつがとても貴重で有意義なものだった。

 私の場合、長期留学したり、企業の駐在員として住んだりしたという経験がない。多くの中国通の日本人、中国専門家たちは、そのどちらか、あるいはどちらも経験しており、長い人だと中国在住歴が20年、30年にも及び、そのときの経験をもとに中国という国を語る。

 北京に留学や駐在で住んでいた人ならば、やはり北京にいちばん詳しいし、生活実感から語ることもできる。地理的に、どちらかといえば北京を中心として中国の北方に強いという特徴がある。

 南の上海に住んでいた人ならば、上海周辺に詳しく、もっと南の深圳に住んでいた人なら、深圳や周辺の広東省から中国全体を見るという人が多いと思う。その留学や駐在が終わって何十年も経っても、自分が暮らした都市の思い出や経験が基礎になっている。

 でも、私には中国に長く滞在した経験がない。これは私のコンプレックスの一つだった。フリーランスとなって十数年後、次々と中国に関するノンフィクション本を出版し始めた四〇代半ばの頃、読者やメディアの人たちから「今はどちらに住んでいるのですか? 上海ですか?」、「いつ日本に一時帰国しますか?」などと聞かれることが多くなった。

 また、私の文体から想像するのか、男性に間違われることがけっこうあり、さらになぜか「中島さんは、本当は中国人なんでしょう?」と聞かれることも多く戸惑った。「東京に住んでいます」と答えるのが少し恥ずかしく、また、自分でも残念に思ったりした。もし自分が北京に住んでいたら、もっと腰を落ち着けてこういうテーマで取材できるのではないかとか、上海に住んでいたら、こういう細かいことを取材してみたい、と思ったことがあったが、さまざまな事情でそれはできなかった。

 その代わり、私は〝中国人〟の気質や特徴をある都市の人々の言動から「こうだ」と極端に判断したり、ある都市の人々を「典型的な中国人」と受け止めたりすることは、幸いにもあまりなかったように思う。

 中国は都市によって人の気質も、社会も、気候も、雰囲気も大きく異なり、一括りにできない。中国に行けば行くほど、いかに中国が巨大な国で、中国人がバラバラなのかを実感する。でも、自分がある都市にずっと住んでいると、その都市で体験したことが中国全体で起きているのではないかと、知らず知らずのうちに思い込んでしまう可能性がある。

 しかし、日本に住んでいる私は、中国にどっぷり浸かりすぎることなく、一つの都市に偏らず、一定の距離を保ちながら、あの国を見ることができた。ときどき中国のあちこちに足を運ぶことで、日本人の間でイメージされる「中国」と実際の「中国」とのギャップを埋められるというメリットもあった。

 そして、大好きな中国にいるときには、朝から晩まで一日中、足を棒にして、体力が続く限り歩き続けた。

 いま思い出しても、フリーランスになった28歳の頃から現在まで30年以上、よく飽きもせず、中国という国と向き合ってきたものだと思う。

 巨大な中国と対峙する上で、私の活力源になっていたのは中華料理だ。

 それこそ、中国にいるときは「一食入魂」で、誰と、いつ、どんな料理を食べるかは私にとってとても重要なテーマだった。そこで食べた料理、店員とのやりとり、それも取材のネタになった。

 東京にいるときもそうだが、私は中国人に会うときはほぼ必ずといっていいほど、彼らと一緒に中華料理を食べている。

毛沢東の好物、紅焼肉

 あの国の人々に胸襟を開いてもらい、思いの丈を語ってもらうには、美味しい中華料理の存在が不可欠だと思ったのだ。それは、誰かに教わったり、誰かがやることを参考にしたりしたわけではなく、自分で自然にそう思ってしたことで、長い間実践してきた。

 今振り返ってみると、このスタイルは正解だったと思う。

 とくに、私のように、中国の社会事情をテーマに取材していると、経済的なデータで証明したいわけでも、今後の会社の方針を聞きたいわけでもない。

 もちろん、おおまかな社会現象やトレンドを理解しておくことは大前提だが、私の目的はある人の考え方や生き方、悩み、苦しみ、楽しみ、いきがいなどを知ること。そして、そこから巨大な「中国」という国の一端を表現することである。

 個人的な話をしてもらうことが私の取材になるので、なおさら、自然にリラックスして会話するためのアイテム=料理が必要だった。

 相手が悲しい話をしているとき、私は箸を置いて深くうなずき、相手が楽しい話をしているときには、自分も一緒になって喜び、料理やお酒をすすめた。

 今では信じられないことだが、私が本を出版し始める2010年代前半は、中国より日本のインターネット環境のほうが断然進んでいたし、中国について日本で調べるほうが情報量も多かった。

 そのため、取材相手のホームグラウンドの北京に行くのに、私が先にネットでお店を探したこともあった。中国人の中には、自分の身辺のことにしか関心がない人もいるので、私が彼らが住む町でおもしろいお店を発見して紹介すると、逆に喜ばれた。

 たいてい、その土地の名物や、相手が好きそうなもの、相手のリクエストに沿った料理を一緒に食べるのだが、美味しい料理を食べていると、いつの間にか相手の表情はゆるみ、こちらが聞いていないことを次から次へとしゃべり出したり、ある食べ物をきっかけに、思いもよらない話が飛び出したりした。

 つくづく、人間にとって食べ物はただお腹を満たすためのものではなく、生きていく上で必要な楽しみであり、喜びであると思ったものだった。

 そのようにして中華料理にまつわる思い出や経験が30年以上にわたって積み重なり、今回、ご縁あって本書を出版することになった。

 といっても、私はただ中国や中華料理が好きなだけで、中華料理研究家ではないし、中華料理店の紹介を専門とするフードライターでもない。店の経営がどうなのかとか、どんな味だったのかについて、細かく形容することも苦手だ。

 ただ、中国に住む「中国人」や「在日中国人」の取材は人一倍たくさんやってきた。ときに取材は3~4時間に及ぶこともあり、その人だけでなく、その人の両親や兄弟、親戚、子どもについてのエピソードも教えてもらった。

 私は日本人で、中国人同士のコミュニティから外れており、「情報が他の中国人に漏れない」という安心感があるからか、私が彼らの身の上相談に乗ったり、悩みを聞いたりすることもあった。

 そういうとき、いつもそこに中華料理があった。職業病かもしれないが、私はいつ、誰と、どんな料理を食べたかについて、かなり昔のこともはっきりと覚えている。そのときの天気や服装、相手の表情、さらに話の内容もだ。

四川省名物の火鍋

 本書では、中国、香港、東京の街角で出会った中国人と中華料理にまつわる思い出や出来事を紹介したいと思う。

  「中華料理店の最新情報やウンチク」を披露する本ではないことを先にお断りしておきたい。

  中国の社会を見つめてきた私のささやかな思い出話にお付き合いいただき、一緒に「中国(人)っておもしろいな」「今から中華料理を食べに行きたいな」と思っていただけたら、ただ、それだけでうれしい。

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