夏の全国高校野球選手権が開催され、連日、球児たちが汗と涙と感動の物語が展開されている。しかし、連日の猛暑の中では単なる「熱戦」という言葉で語ることはできなくなっている。
真夏に開催するという〝主催者の事情〟に目を向けなければ、「7イニング制」といった変更では解決にならず、むしろ魅力を失う。「夏の甲子園」の意味を今一度問い直したい。
過去のドラマや大会運営の課題を語った記事5選を紹介する。
<目次>
・【夏の甲子園という難題】熱中症で死者が出てからでは遅い!7イニング制は解決策にはならない…しがらみを超えた抜本的な改革を(2025年8月19日)
・高校野球の死語となった「エースと心中」、先発・完投型から継投での勝ち抜きへ、転機とも言える佐々木朗希の“最後の夏”(2026年7月27日)
・甲子園の応援は「教育の一環」なのか?勝ち上がっても素直に喜べない高校側の“実情”、かさむ全校応援の費用(2025年8月27日)
・戦争下でも行われていた“プロ野球”、戦況激化でも集客できた理由…国の圧力とも付き合い続けられたスポーツが伝える戦争の教訓(2025年8月25日)
・開幕したセンバツ、あの甲子園の名場面「奇跡のバックホーム」はなぜ生まれたの(2026年3月22日)
【夏の甲子園という難題】熱中症で死者が出てからでは遅い!7イニング制は解決策にはならない…しがらみを超えた抜本的な改革を
高校野球の日本一を決める「夏の甲子園大会」は近年、猛暑対策が大きなテーマとなっている。今年は高校球児や観客を熱中症から守るため、気温が上がる日中を避けて「午前」と「夕方」に分けて試合を行う「朝夕2部制」を、昨年の3日間から5日間(当初は6日間の予定が天候による順延で1日短縮)へ拡大させた。
昨年より気温が低かったこともあり、観客の救護室の受診者数は大幅に減少。一方で、試合終了時間が遅くなり、悪天候による一時中断の判断が難しくなる弱点も露呈した。
“小手先”の猛暑対策で過密日程を消化する「夏の甲子園」は、はたして時代に即しているのか。猛暑が厳しさを増す中、5年後、10年後の夏を見据えたとき、抜本的な大会の見直しも念頭に突っ込んだ議論を深める時期が差し迫っている……
続きを読む⇒【夏の甲子園という難題】熱中症で死者が出てからでは遅い!7イニング制は解決策にはならない…しがらみを超えた抜本的な改革を
高校野球の死語となった「エースと心中」、先発・完投型から継投での勝ち抜きへ、転機とも言える佐々木朗希の“最後の夏”
第108回全国高校野球選手権の地方大会は大詰めを迎え、全国各地から甲子園出場を決めた学校が相次いでいる。この時期になると思い返すのが夢の甲子園まであと1勝と迫りながら監督の指示で登板機会を奪われた、あの怪物投手のことである。現在、大リーグ・ドジャースに所属する佐々木朗希投手だ。
7年前、岩手県立大船渡高校時代に、同じ岩手の先輩、花巻東高時代の大谷翔平を上回る160キロ台の剛速球をマークし、一躍全国の注目を集めた。第101回選手権の岩手県大会ではエースとして決勝まで駒を進めながら、故障を心配した監督の判断で決勝戦の登板を回避。エースを欠いたチームは大敗、甲子園出場を逃した。佐々木を使わなかった監督の采配を巡って賛否両論が沸き起こった。
監督の判断は正しかったのか。今も論争となる球史に残る出来事だが、当時から高校野球を熱心に取材していたスポーツライターの目に、事態はどう映っていたのか。今回紹介するのは騒動が起きた2019年の秋に出版された『投げない怪物』(小学館刊)である。サブタイトルは「佐々木朗希と高校野球の新時代」……
続きを読む⇒高校野球の死語となった「エースと心中」、先発・完投型から継投での勝ち抜きへ、転機とも言える佐々木朗希の“最後の夏”
甲子園の応援は「教育の一環」なのか?勝ち上がっても素直に喜べない高校側の“実情”、かさむ全校応援の費用
沖縄尚学の初優勝で幕を閉じた第107回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)。球児たちの熱闘を後押しするのが、出場校の生徒、OBOGら関係者が一丸となって応援するアルプススタンドだ。
生徒らはカラフルな応援Tシャツなどを身にまとい、吹奏楽部の演奏に合わせて、チアリーダーと一体となって盛り上げる。各校が特色ある応援をする「夏の風物詩」でもあるが、全国各地から貸し切りの観光バスなどで甲子園に駆けつける費用が重くのしかかる現実がある。
1試合あたり数千万円に上るとの報道もあり、学校が勝ち上がるほどに遠征費がかさみ、生徒たちの自己負担も増える。クラウドファンディング(CF)によって集めた寄付金でまかなうなど知恵を絞っても限界がある……
続きを読む⇒甲子園の応援は「教育の一環」なのか?勝ち上がっても素直に喜べない高校側の“実情”、かさむ全校応援の費用
戦争下でも行われていた“プロ野球”、戦況激化でも集客できた理由…国の圧力とも付き合い続けられたスポーツが伝える戦争の教訓
戦後80年の節目の8月を迎えた。戦争を体験した人の数が年々減少し、「記憶の継承」が日本人の課題となっている中、戦時下の職業野球(プロ野球)について多くの著作がある東京造形大学の前学長で、ノンフィクション作家の山際康之が80年目の終戦記念日に新著を発表した。
『戦争に抵抗した野球ファン』(筑摩選書)。サブタイトルは「知られざる銃後の職業野球」である。
『兵隊になった沢村栄治』(2016年ちくま新書)、『八百長リーグ』(2018年角川書店)など、「職業野球」と呼ばれた戦前のプロ野球に関する著作を発表している山際は、今回の新著では「戦争といえば将兵たちの記録を多く目にするが、銃後をささえた庶民は、はたして戦争とどう向きあっていたのか。そうした疑問が本書の原点である」と書いている……
続きを読む⇒戦争下でも行われていた“プロ野球”、戦況激化でも集客できた理由…国の圧力とも付き合い続けられたスポーツが伝える戦争の教訓
開幕したセンバツ、あの甲子園の名場面「奇跡のバックホーム」はなぜ生まれたのか?
「奇跡のバックホーム」といえば、脳腫瘍のため28歳で亡くなり、昨年映画化もされた元阪神タイガースの横田慎太郎選手の物語を思い浮かべる読者が多いかとは思うが、高校野球では今から30年前、夏の甲子園決勝戦で松山商業の矢野勝嗣選手が熊本工のサヨナラ勝ちを阻止したプレーが「奇跡のバックホーム」として時代を超えて語り継がれている。
同点の延長十回裏、1死満塁のピンチで右翼への飛球を捕り、本塁へダイレクト送球し、三塁走者を刺して併殺でピンチを救った。準レギュラーの矢野選手は、そのプレーの直前、守備固めで右翼に入ったばかりだった。好返球は奇跡的な監督采配が生んだプレーでもあった。
矢野選手の好返球はどんな練習を積んで生まれたのか、また松山商の澤田勝彦監督はどんなひらめきがあってサヨナラ負けの大ピンチに控えの矢野を右翼に起用したのか。30年前の夏、大観衆がかたずをのんで見守る中で誕生した奇跡の舞台裏を解きほぐしたのが『日本一のボール拾いになれ』(元永知宏著)である……
