NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」がいよいよ佳境を迎えている。秀吉と弟・秀長の兄弟愛を軸に描かれる本作だが、実は物語の重要な転換点に、若き徳川家康との激突「小牧・長久手の戦い」がある。信長の死後、天下取りレースの主役に躍り出た秀吉と、律義者を演じながら虎視眈々と機会を窺う家康。この一戦は単なる合戦ではなく、二人の"読み合い"の縮図だった。
ドラマでは今後家康の登場は限られるというが、この時代の裏側を知れば「豊臣兄弟!」の見方がもっと深くなる。その手引きとなるのが『超約版 家康名語録』(榎本秋 編訳)と『家康の決断』(城島明彦 著)の二冊だ。
小牧山を電光石火で奪った家康の判断力
1582(天正10)年の本能寺の変で織田信長が横死すると、天下取りレースは一気に混沌とした。羽柴秀吉は主君の仇・明智光秀を討ち、織田家の実権を握りつつあったが、これに異を唱えたのが信長の次男・織田信雄だった。
信雄は徳川家康と手を結び、秀吉に対抗する。かつて信長の盟友だった家康が、今度は信長の遺児を担いで秀吉と刃を交えることになったのである。1584(天正12)年、両軍は尾張の小牧山、そして長久手で激突した。
『家康の決断』によれば、この戦いの序盤で家康の判断の速さが際立つ。家臣が「小牧山を占拠し、そこに古い城塞を修理して本陣とすべきだ」と進言すると、家康は「直ちに占拠して、修復せよ」と即座に同意。9日後には防御柵まで完成させ、要衝を押さえてしまった。
一方の秀吉軍は対応が後手に回り、先陣を務めた池田恒興・森長可が功を焦って勝手に動き、家康軍に急襲されて敗北するという失態を演じている。

