<本日の患者>
M.H.さん、49歳、女性、プライマリ・ケア認定薬剤師。
「東日本大震災の時、先生はどうしていたんですか」
「3.11当日には、福島県の太平洋側、通称『浜通り』の病院で家庭医を目指す若い医師を指導していました。その病院が高台にあったので、津波の被害を受けなかったのは不幸中の幸いでした。でも、最初から揺れの大きさで身の危険を感じ、崩れそうな病棟から入院患者を避難誘導しました。その後の3週間避難所を巡回して地域の人たちのケアをしました。4月の初めに県と医大の合同対策本部からの指令で、自衛隊の人たちと協力して、事故を起こした原発から半径20〜30キロ圏内に残された住民を探し出して、健康状態に応じた支援へつなぐミッションを指揮しました」(*当時の状況や私の思いについては英国医学雑誌の『BMJ Blogs』1週間後 、2週間後、1カ月後 、 1年後とカナダ医師会雑誌『CMAJ』のブログ3年後を参照)
「今回の熊本地震とはまた違った苦労があったんですね」
「あの時は津波と放射線災害が問題を複雑にしました。今回は、日常生活のインフラが大地震で破壊された後で、記録的な暑さとの戦いを強いられていて気の毒です」
M.H.さんは、多職種チームと地域で連携して総合的な対策が取れる専門能力を持つ「プライマリ・ケア認定薬剤師」である。患者としては脂質異常症があって、私の働く家庭医診療所に3カ月ごとに定期受診して生活習慣の改善に取り組んでいる。
脂質異常症改善の取り組みは順調に進んでいたが、M.H.さんも私も親戚が熊本市内に住んでいるため、今日の定期受診では、7月28日からの令和8年熊本地震についての話しが多くなった。
今回のような自然災害と極端な気候変動による複合的緊急事態が起きた後で、熱中症と隣り合わせの極端な暑さと心的外傷という2つの大きな脅威に私たちはどう立ち向かっていけば良いのか。
停電でエアコンも使えず、断水で飲み水にも事欠く。そこに猛暑が重なる。本来、人が助けを求めて集まってくるはずの避難所が、一瞬にして命を落としかねない危険な場所にも変わりうる。避難所の過酷な環境は単なる災害の「背景」ではなくなり、病気や死を招く直接的な要因そのものだ。
そんな状況下で、最も弱い立場にある人々の命が、突然、避難所を運営することになった人たちの手に委ねられる。今危機に直面している人も、いつどこで大災害が起こりうるかわからない日本で、私たちはどう備えるべきだろうか。
