トイレの水を流すと、自分の出した排泄物はすぐに目の前からなくなる。見えなくなることへの無関心に今一度、目を向けてみるべきではないか。電子書籍「下水道からの警告 地下空間の声を聞け」の内容を一部、限定公開いたします。
私たちが普段何気なく歩く道路の下には、たくさんの下水道管が敷設されている(GYRO PHOTOGRAPHY/AFLO)
東京都千代田区に位置する私の研究室の窓から、池袋のビル群を中心とした都心の風景が見える。空気が澄んでいる日には広大な関東平野とそれを縁取る山並みを見渡すことができる。日が暮れるとビルやマンションや住宅の窓に明かりが灯り、美しい夜景が広がる。
日々そういう風景を見ながら私は思う。何と多くのひとびとの暮らしと活動、建物が地上を埋め尽くしていることだろうと。そして、この地上にひしめく構造物の中で滞りなく健やかな日常生活が営まれるために、地下に埋められた膨大なインフラ設備やそれに関わるひとびとがどれほど大きな役割を果たしていることかと、考えずにはいられない。
そんなふうに都会の風景を見る人はそれほど多くはないだろう。いや、ほとんどいないかもしれない。「食べること」は必ず「出すこと」につながると、日々、誰もが経験して知っているにもかかわらず、「出すこと」は「食べること」に比べて軽視されがちである。ゴミや排泄した糞尿の行方を私たちは知らない。知らなくても問題が起きてこなかったのは、下水道整備が定着し、周到なごみ収集と下水処理システムが構築されてきた恩恵だともいえる。
