熊本の震災以降、全国から派遣された災害派遣精神医療チーム(DPAT)が被災者の精神保健ケアを行っている。今回は、「こころのケア」報道と事実の乖離を指摘し、専門家たちが鳥の目(J-SPEED:災害時診療概況報告システム)と蟻の目(災害ケースマネジメント)の二つの視点から熊本を見つめている現状について述べる。
「こころのケア」における報道と事実の乖離
報道は、例によって、「共感」、「よりそい」、「いやし」などの言葉を多用している。しかし、DPATはプロ集団であり、現場のニーズとメディアの期待との乖離を熟知している。
報道番組は、悲劇に見舞われた被災者以上に、被災者の悲劇を見たい視聴者を意識して作られる。そのために、カメラマンは「いい絵を撮りたい」と意気込む。「いい絵」とは、たとえば、避難所の片隅で精神科医がひざまずき、優しく語りかけて、話を聴き、高齢女性が訥々と語り、ついに「わかってもらえた」と涙する映像である。
しかし、災害派遣チームのメンバーたちは、被災者に対して、一時的な関わりしか行えない。マスコミが頻用する「よりそう」という言葉も、被災地では適切とはならない。
悲しみに打ちひしがれた時、人は親しい人に「よりそってほしい」と思うが、突然現れた部外者に「よりそってほしい」とは思わない。むしろ、熊本弁で「のさんけん、来んでよかっタイ(面倒だから、来なくて良かったのに)!」と言い返されかねない。
「こころのケア」の番組を作る報道陣に、悪意があるとは思わない。ただ、報道は「かわいそうな被災者を見てみたい」という視聴者のニーズに「よりそい」過ぎである。被災者からすれば、ニュースバリューのために同情と憐憫の道具にされたと思うであろう。
