学生日本一6回、日本一4回──。1980年代から90年代にかけて、日本のアメリカンフットボール界に一時代を築いた京都大学ギャングスターズ。
甲子園ボウル(全日本大学選手権)に8度、ライスボウル(日本選手権)に6度出場するという偉業を成し遂げ、宿敵・関西学院大学や日本大学といった私立の強豪校との死闘を繰り広げながら勝利を収めてきた。
その黄金期を築き上げた立役者で、名将として名を馳せたのが水野彌一さんである。
水野さんが監督を務めていた時代には、「怪物」と言われたクォーターバック(QB)東海辰弥さんやワイドレシーバー(WR)福島伸一郎さんら伝説の名選手が生まれた。
その水野さんは今年2月に『道は人に在り』(講談社BECK)を上梓。最強チームを創り上げるまでの苦悩や指導哲学などをまとめた。
「言いたいことの8割は表現できているのですが、どう表現するのかがとても難しい。今、読み返してもまったく納得できていないんです」
取材が始まるなり、水野さんはこう言った。著書は400頁を超える大部で、〝水野語録〟にあふれているのに本人の評価は厳しい……。なぜなのか。対話を重ねるうちに、その理由が分かってきたと共に、フットボール界の未来や理想の指導者像、勝利に対する並々ならぬ思いがひしひしと伝わってきた──。
「もともとは戦闘機のパイロットになりたくて、防衛大学校に入学しました。その後、フットボール部に入部しましたが腰痛になり、パイロットを断念しました。高校時代の私は、スポーツも勉強もせずにだらだらと日々を過ごしてきた人間で、防大での学生生活はわずか1年でしたが、私を変える転機となりました」
こう語る水野さんは、その後1年間、猛勉強して京大工学部に入学。アメフト部でプレーしたのち、コーチや社会人を経験。米コロラド・スクール・オブ・マインズ大学院への留学などを経て京大ギャングスターズ監督に就任した。様々な挫折や紆余曲折を経てチームを率いることになった異色の経歴の持ち主である。
「私の指導哲学を一言で表現すれば、『組織が勝つのではなく、個人が勝つ』ということです。日本の選手は個々の技量では劣ることが多い。特に海外の強豪と比べれば、身体能力や経験で差があります。それを補うために組織活動で戦うという発想は非常に効果的でした。しかし、集団の力で個人の力量の差を補うことには限界があるのです」
続けて水野さんはこう言った。
「産業界では昨今、生産性が追求されていますが、企業の『生産』とスポーツの『戦い』は本質的にまったく異なります。生産では、全体で成果を出すために仕事を細かく分け、それぞれが決められた役割を正確に果たすことが必要です。一人ひとりを専門化し、ムダをなくし、ミスを防ぎ、不良品を出さない。これが生産の基本です。これらはすべて自分たちのことです。
