第二次世界大戦時、ミャンマーは13万人以上の日本兵が戦死するほどの激戦地となった。それにもかかわらず、ミャンマーの人々はとても親日的である。
しかし今もこの国では、国軍支配の下で内戦が続き、経済は激しく落ち込み、国民は貧困に苦しんでいる。日本はこの国とどう向き合っていくべきなのか考えてみたい。
ミャンマーでは、独立直後から軍が政権を握り、その統治は50年に及んだ。タイやインドネシアなど東南アジアの国々が戦後経済発展を遂げて民主化を進めていくなかで、ミャンマーだけが取り残されてきたのである。転機となったのが2015年の選挙だ。アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が勝利して軍の統治に終止符が打たれ、自由な選挙で国民の支持を得た政権が初めて成立した。20年の選挙でも、国民は再びスー・チー氏に圧倒的な支持を示した。
しかし21年2月1日、ミン・アウン・フライン司令官率いる軍はクーデターを決行し、スー・チー氏とその関係者を拘束した。軍統治の復活に多くの国民が抗議したが、軍は実弾による厳しい取り締まりで応じた。多くの若者がジャングルに逃れて武器を手に取り、今も国土の約5割程度の地域で激しい内戦が続いている。さらに軍は、24年2月から徴兵制を開始した。自国民に銃を向けることを意味する徴兵は、多くの若者にとって到底受け入れられる選択ではない。
直近の25年12月から26年1月にかけての選挙も、軍はスー・チー氏らを全員拘束したまま行い、軍系政党がシナリオどおり圧勝した。4月には、ミン・アウン・フライン司令官が軍服を脱ぎ「大統領」に就任している。任命された30人の大臣のうち、22人が現役または元軍人である。この布陣を見ただけでも、この政権に民主化への復帰を期待できないことは明らかであろう。「大統領」は選挙での勝利こそクーデター後の政策すべてが国民の支持を得た証左だと主張しており、国際社会が求める「政治的出口」をそこに見出すことはできない。
経済面でも状況は深刻だ。11年以降、民主化に歩み出したミャンマーは、「アジア最後のフロンティア」として国際社会から注目を浴びた。なかでも日本は、親日的な国民感情や歴史的な関係の深さもあり、ティラワ経済特区の開発をはじめ、官民一体の大規模なプロジェクトを次々と推進した。
しかし、そうした経済活動の多くは、クーデター後に深刻な危機に直面している。国際社会から孤立した「政権」は、外貨を節約するため、「輸入制限による貿易赤字の縮小」と「外貨の国家管理」を基本政策に据えてきた。原材料の輸入や海外送金において1件ごとに国の許可が必要になり、企業がビジネスを行うことのできる環境では到底ない。消費物資の多くを輸入に依存する同国では極度の品不足を招き、現地通貨チャットの下落と相まって物価が高騰している。
