人生における「失敗」とは、そもそも何だろうか?
先日、還暦を迎えたタイミングで、これまでの人生を振り返りながら考えてみた。
ほとんどの場合、行動を起こして前に進んでみた結果、当初、予想(予定)していたものとは異なる結果になった、ということに過ぎない。
私も、第一志望だった東京大学の受験に〝失敗〟し、早稲田大学に進学した。その結果、米国を視野に入れるようになり、人生開拓のため1988年に渡米し、試行錯誤しながら歩み続け、38年が過ぎた。
米国には、「Things happen for a reason」という表現がある。「起こることは、(今はどうして思い通りにいかなかったのか分からないが)すべて(後で分かる)理由があって起きる」という意味だ。私もよく自分に言い聞かせる楽観的で前向きな考え方だ。
その時には嫌なことだと思えても、あとになって考えると、そのことが転機になったり、新たな発見につながることがある。私の場合だと、東大に入れなかったからこそ、渡米を考えることができたし、米国で道を切り拓いて、これまでの人生を歩んでくることができた。その時点では失敗だと思っていたことは、私の運命だったということだ。
2005年、米スタンフォード大学の卒業式でスティーブ・ジョブズが「Connecting the dots」という歴史に刻まれるスピーチを行った。
「未来を見て点と点をつなぐことはできない。しかし、振り返ってみると、点と点がつながっていることが分かる。だから今、自分のやっていること、すなわち点と点が、将来、振り返った時につながる、と信じて進んでいかなければならない」
日本社会は失敗を許さず、米国社会は失敗に寛容と巷間でよく言われる。これも「失敗」をどのように捉えているか、両国の違いが色濃く反映されていると感じる。
日本は「レールが敷き詰められた社会」で、米国は「何でもありの社会」──。この違いがイノベーションの起きやすさにつながっていると思う。なぜなら、イノベーションは、異分野の技術や考え方がある時間軸の一点で重なった時に生まれるものだからだ。
レールが既成概念と常識であちこちに「しっかり」と敷かれていては、 技術や考え方がなかなか交わらない。イノベーションのきっかけはいい意味での〝脱線〟にある。
私が06年にクリーブランドで創業した医療機器メーカーQEDは19年にキヤノン入りした。医療事業をビジネスの大きな柱の一つだと捉えたキヤノンが、最大市場である米国で事業を拡大するための戦略の一つとしてのM&Aであった。
私は、世界最大医療機関の一つであるクリーブランド・クリニック(CC)のヒルクレスト病院とメンター病院で理事長を務めているが、この縁もあって、23年の冬、私がCCのエグゼクティブ・バイス・プレジデント兼研究・学術最高責任者であるセルピル・アズラム先生に「キヤノンの米国医療事業本社をCCのメインキャンパス内につくれないだろうか?」と尋ねた。
