2026年9月11日(金)

日本人が知っておきたい安全保障レッスン

2026年9月11日

 筆者は、防衛官僚として13年間防衛省で勤務し、今年の4月に退職した。この連載では、安全保障に関する基本的な知識や考え方(フレームワーク)をお伝えするとともに、実際の日本政府の政策を取り上げてその背景や含意について解説している。

 前回は、「平和」について二つの見方があり「消極的平和」にとっては双方がいがみ合っていること自体は問題視されないこと、イデオロギー対立に陥りがちな平和主義と現実主義との間に共通点が見出せることを説明した。第3講となる今回は昨今話題になることも多い「平和教育」について筆者が考える要点を解説する。

【第3講のテーマ】
平和教育の中核的な内容は戦争の悲惨さを学ぶこと(反戦平和)だと思われるが、それは平和の実現にとっていかなる意義があるのか。他に教えるべき内容はないのか。

前回の記事
第2講:日本人の「平和観」はなぜすれ違うのか? 元防衛官僚が徹底解説、「消極的平和」と「積極的平和」の違い、安全保障の世界は矛盾だらけ

 皆さんは「平和教育」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。戦争体験者の話を聞く、修学旅行で広島・長崎や沖縄を訪れる、「ちいちゃんのかげおくり」や「火垂るの墓」といった作品に触れる、といったことだろうか。

 私自身は小学生の頃に学校で鑑賞した、沖縄からの児童疎開船の悲劇を描いた映画「対馬丸」や、神戸が舞台の自伝的小説『少年H』などが印象に残っており、幼心にショックを受けた。また、大学時代に訪れた原爆ドームと広島平和記念資料館では展示物の苛烈さに言葉を失った。おそらく、平和教育の多くは戦争の悲惨さと命の尊さを訴える内容であり、抑止力の考え方や自衛隊の装備品を解説するような内容ではなかっただろう。

『ちいちゃんのかげおくり』は、戦争の悲惨さや命の尊さを学ぶための教材として、1986年頃から小学校3年生の国語の教科書に掲載され始めた(画像はAmazonより引用)

 私はここで「戦争の悲惨さ」を教えることに意味がないと言いたいのではない。決して風化させるべきではない内容だ。ただ、もし平和教育が「戦争の悲惨さ」だけに限定されているのであれば、そこに強い危機感を覚えるのである。なぜならば、平和というのは自分たちで創っていくものであり、「戦争の原因」と「平和の条件」を探求することなしには達成できないからだ。

 学校に警察官が来訪し交通事故を再現することでその危険性を教えることがあるが、同時に守るべき交通ルールや採るべき行動についても教えているはずだ。戦争も同じであり、悲惨さだけでなく、それを回避するための手段をセットで学ばなければ意味がない。恐ろしいものから目を背けるだけでは決して平和は訪れない。平和は無条件に与えられるものではなく、それを支える営みが必要なのだ。


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