2026年8月26日(水)

日本人が知っておきたい安全保障レッスン

2026年8月26日

 筆者は、防衛官僚として13年間防衛省で勤務し、今年の4月に退職した。この連載では、安全保障に関する基本的な知識や考え方(フレームワーク)をお伝えするとともに、実際の日本政府の政策を取り上げてその背景や含意について解説している。

 前回は「戦争」や「抑止力」の意味を確認した上で軍隊の存在意義について解説した。第2講となる今回は、「平和」という言葉について真剣に考えることを通じて、立場を超えた対話の可能性を探っていく。

【第2講のテーマ】
戦争と平和を巡って、平和を訴える人たちと安全保障を語る人たちとの間には大きな見解の相違があるように見える。両者は相容れないのか。

前回の記事
第1講:元防衛官僚が問いたいこと、平和のために軍隊は必要なのか? 軍隊の存在意義を多面的に考える

「平和」から連想されるもの

 日本人にとって8月は戦争と平和について考える時期だ。お盆があることも相俟って、この時期に静かに死を悼むことが私たちの生活のリズムになっている。戦後81年目の今年も同じ状況であったように思う。様々な番組や紙(誌)面では、過去の戦争の悲惨さと現下の安全保障環境の厳しさを取り上げて、「平和は尊いものである」と締めくくるのが定番だ。そこに異論はないだろう。だが、同じ平和について語っているのに、安全保障政策を巡っては根本的なレベルでの党派的対立が見られる。なぜだろうか。

平和を願う気持ちは同じなのになぜ、議論は噛み合わないのか(ANADOLU/GETTYIMAGES)

 私にとって「安全保障」とは「平和」を達成するための営みである。二度の世界大戦を経て採択された国連憲章でも第1条の冒頭で「国際の平和及び安全(peace and security)を維持すること」が国連の目的として掲げられ、平和と安全保障を一体的に捉えている。だが、いわゆる平和教育や平和活動の現場で語られる「平和」は「安全保障」とは異なる像を結んでいるようにも見える。

 学生の頃、中東やアフリカでの平和構築・国際協力に関心があり国連職員と意見交換をする機会があったが、ある人は軍事的な安全保障の話になると少し含みのある表情を浮かべ、こう言った。

 「あなたのような人が防衛省を目指すのは驚きだが、だからこそ頑張ってほしい」

 「あなたのような」とは平和を愛する者で、防衛省とは「平和的ではない存在」という意味だろう。確かに“鳩”ではなく防衛省が平和を象徴していると言われても困惑してしまう。最近参加したあるイベントでも平和について語ろうということになったが、そこで展開される議論は「貧困」「差別」「尊重」「ケア」といった話題が多く、戦争や安全保障の話はほとんど出なかった。

 私はここで「平和観」が見事にすれ違っていることに気付いた。防衛省・自衛隊にとっての平和は「戦争がない状態」を指すが、このイベントで語られていた平和はもっと身近なもので、目指しているのは人々が手を取り合い、笑い合い、自分らしくいられる世界なのであろう。


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