2026年8月26日(水)

日本人が知っておきたい安全保障レッスン

2026年8月26日

消極的平和と積極的平和

 この二つの平和観には学問的な裏打ちがある。ノルウェーのヨハン・ガルトゥングという学者によって「消極的平和」と「積極的平和」に分類されたのがそれだ。ガルトゥングは平和学の父とも言われ、日本で平和について関心を持って調べた場合、多くの人が行き着く名前だろう。

 「消極的平和」とは戦争がない状態を指し、「積極的平和」とは戦争がないだけでは足りず、貧困や差別などもない状態を指す。平和を「暴力の不在」と定義した上で、戦争のような「直接的暴力」の不在のみならず、差別のような「構造的暴力」の不在まで追求しようという思想である。

 国連が定めたSDGs(持続可能な開発目標)の16番目の目標は「平和と公正をすべての人に」であり、そこには「暴力と暴力による死」だけでなく、「子どもに対する虐待、搾取、人身売買」「汚職や贈賄」「出生登録」などといった単語が並ぶ(ちなみに図柄には鳩が用いられている)。まさに積極的平和まで包含した内容であり、一言で言えば、「平和で包摂的な社会」を目指すということである。包摂的とは、先に述べた人々が手を取り合っているイメージにピッタリだ。

 一方で消極的平和、つまり戦争を起こさないことに関連するコンセプトに「抑止」があるが、第1講で述べたとおり、抑止とは「痛い目を見るぞ」という姿勢を見せることであり、国同士は手を取り合ってもいないし、笑い合ってもいない。

必須ではない包摂的な友好関係

 だが、この状態は安全保障(=消極的平和)にとっては全く問題ではないのだ。たとえいがみ合っていようとも、そこで抑止が働き、戦争さえ起こらなければ良しとするのが安全保障の考え方だ(勢力均衡)。それほどまでに、人々が理不尽に命を奪われる戦争というものを避けようという思想である。もちろん、国際関係でも理想は国家同士が仲良くすることにあるが、一義的な目標はあくまで戦争の不在だ。

 「いがみ合っても良い」とする国家間の安全保障(消極的平和)と「いがみ合わずに仲良くしよう」という人間間の平和(積極的平和)との思想の違いが二つの平和観のズレの原因だと思われる。ガルトゥングの平和論やSDGsは、消極的平和が達成されているとしても、それに加えて積極的平和も大切だと訴えた点に意義があるのであって、両者は矛盾するものではない。

 しかし、イメージとしては、軍隊が対峙して牽制し合う像と人々が肩を組んで笑い合う像とは相反するように感じてしまうだろう。日本で平和という場合には、後者の積極的平和のイメージに基づく、他者や他国との相互理解がある状態が想起されがちであり、そのため軍隊が牽制し合う状況自体が「非平和的」と捉えられるのだ。感覚論としては理解できるが、少なくとも学問としての安全保障ではそのようには捉えない。


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