「両国は『尊重、公平、対等に基づく建設的戦略安定関係』の構築で合意した」
習近平国家主席の訪米後の9月26日、中国政府は8項目の成果文書を発表した。その第1項に挙げられた文章だ。
外交ではありがちな空疎な文言に見えるかもしれない。だが、実は対等な関係という言葉は、中国にとっては長年の悲願とも言える。
この言葉を勝ち得る追い風となったのが、「米中は第二次世界大戦の同盟国」という、日本に衝撃を与えた物語であった。歴史というナラティブを駆使することで、中国外交はついに目標を達成したのだろうか。それとも……。
米中首脳会談に秘められた米中外交の歴史からこの意味を読み解くとともに、米国がしかけた「罠」にも迫りたい。
「先頭に立たない」から「対等」まで
出発点は中国の発展の礎を築いた最高指導者・鄧小平だ。天安門事件と冷戦終結で中国が国際的に孤立した1990年前後、「冷静観察、穏住陣脚、沈着応付、韜光養晦、決不当頭、有所作為」(冷静に観察し、足元を固め、落ち着いて対処し、能力を隠して時を待ち、決して先頭に立たず、なすべきことはなす)という24文字の外交方針を示したとされる。
中国はその言葉通り、目立たぬように振る舞ってきた。97年に江沢民国家主席とクリントン大統領が合意したのは「建設的戦略パートナーシップ」。米国一極の秩序に、中国は一参加者として加わるという関係だった。
中国がより高い国際的地位を求める転機となったのは、08年のリーマンショックだった。西側経済が沈む中、中国は4兆元の景気対策でいち早く回復し、「西側は衰退し、中国が台頭する」というナラティブが中国内外に広がった。
米国でも、中国の台頭を認め、中国を大国として認める代わりに、世界の安定に力を発揮してもらおうという「G2」論が語られた。ただ、当時の中国はまだ慎重だった。温家宝首相(当時)は09年5月20日、プラハでの中国・欧州連合(EU)首脳会議の際に、世界が「中米共治」になるという見方を「根拠がなく」「誤りだ」と退けている。
一方で、中国自身も国際的地位を高める動きを始めていた。胡錦濤国家主席は09年7月の駐外使節会議で、鄧小平の外交方針のラストを「積極有所作為(なすべきことを積極的になす)」と変えた。
