「点」ではなく「流れ」で考える
戦争と平和を考える上で欠かせないのが歴史である。国際秩序がどのように維持・破壊・再建されてきたかは世界史そのものである。この点、日本の平和教育では直近の戦争体験が題材になることが多く、典型的なのは沖縄戦や広島・長崎への原爆投下だろう。これらはいずれも1945年の出来事である。東京大空襲も硫黄島の戦いも同じ年だ。つまり、日本の平和教育では戦争末期の悲惨な状況をピックアップすることが多いと言えよう。
しかし、「戦争の原因」を探るためには、少なくとも1931年の満洲事変まで遡る必要があるだろうし、ペリー来航以来の近代の流れから考察することも有益だろう。また、「平和の条件」を探るためには、現在も世界中で絶えない紛争がいかに停戦・和平に向かっていったかのケース・スタディが重要になるはずで、そこでは当然軍事的な要素も含まれることになる。現在の日米安全保障体制を批判的に検討することも良いだろう。
このような視点がポッカリと抜け落ち、敗戦の結果の部分だけ「点」で取り上げ、戦争の悲惨さのみを教えることだけでよいのか。戦争の悲惨さを知ることは教育の出発点に過ぎず、「では、どうすれば」という探求から知的格闘は始まるはずだ。
歴史教育のいま
教育という観点から明るい兆しもある。現在の学習指導要領(2018年告示)では高校生の必須科目として「歴史総合」が新設されたが、これは近現代に関わる世界と日本を相互的な視野から捉えることを目標とした科目であり、いわば日本史と世界史をミックスしたものを近現代史から始めるというものだ。
私が高校生の頃に受けた授業では、近現代史にはたどり着かずに終わってしまうこともあったが、いまは近現代のグローバル・ヒストリーが必須科目となり、縄文時代から詳しく学ぶ内容は「日本史探求」として別の選択科目になっている。その結果、小学生向けの「まんがで学ぶ日本史」のようなシリーズ本も、各社ともに近現代史のボリュームが厚くなる形で改訂された。
戦争と平和をめぐる経緯は世界史そのものだと述べたが、まさに現在に繋がる日本の来し方を内容とする教材が「歴史総合」をきっかけに充実してきている。例えば、〝先の大戦〟については、ともすれば真珠湾以降の対米戦争が想起される傾向にあったが、太平洋戦争は大きな流れの中の後半部分しかすぎず、歴史の大部分はアジア方面が焦点であった。
相手は米国だけではなく「英米蘭蒋」とするのが当時の日本政府の立場である。「歴史総合」では朝鮮半島や中国大陸をめぐる列強間の紛争が詳しく解説されており、「戦争の原因」について学ぶ良い機会を提供していると言えよう。
