台湾・李登輝元総統の病状悪化が速報として報じられたのは2020年7月29日のことだった。私は都内で開かれたある会議に出席していた。
進行に没頭していた最中、隣にいた同僚から差し出された一枚のメモを見て、「あの李登輝さんが……」と、思わず動揺し、すぐさま出席者に情報共有した。あの日、あの時のことは、今もなお、鮮明に覚えている。
翌30日、李登輝元総統は亡くなった。享年97。日台関係の歴史に一つの時代が静かに幕を下ろした瞬間であった。
その李登輝元総統を最も近くで見てきた日本人秘書がいる。12年から8年間秘書を務めた早川友久氏である。早川氏は02年、大学の卒業旅行で初めて台湾を訪れ、総統府で流暢な日本語を操る一人の「おばあちゃん」ガイドに出会った。
それが早川氏の運命を大きく変え、すっかり〝台湾熱〟に浮かされた。その10年後、李登輝元総統から直接指名を受けて秘書になり、最後まで総統の政治活動を支え続けた。
早川氏は総統死去の夜、ある不思議な体験をしている。詳しくは、『総統とわたし 「アジアの哲人」李登輝の一番近くにいた日本人秘書の8年間』(小社刊)に譲るが、刊行から5年9カ月、李登輝逝去から6年を迎えるにあたり、早川氏はこの間の台湾社会の変化をこう語る。
「以前から、台北の街のいたるところで『リーベン(日本)』という言葉が聞こえてくることはありましたが、最近ではそれがより一層増えてきたと感じます。台湾の人々にとって日本人、あるいは日本という国の〝存在感〟は私たちが想像している以上に大きくなっています」
日台間を頻繁に往来し、人的ネットワークの拡充・強化に尽力する早川氏だからこその肌感覚だろう。
そのうえで、近年の日台間には二つの大きな出来事があったという。
一つはコロナ禍で日本から提供されたワクチンにより、両国の関係がさらに強化されたことだ。
「当初、台湾は感染症対策の優等生でしたが、感染者ゼロが破られた途端、社会にパニックが広がりました。そうした中、21年6月に日本からワクチンが供与されることになり、ニュース専門チャンネルのすべてが桃園国際空港に到着する日本航空809便の様子を映し出していました。その様子を台湾の人々は固唾をのんで見守っていたのです。
1999年9月21日の台湾大地震の際も、世界で最も早く救援隊を派遣したのは日本で、多くの台湾人は、あの時のことを覚えています。
これまで、台湾人には心のどこかに、『日本は大切な隣国だが、中国の顔色をうかがう国』という、いわば〝片思い〟のような思いがありました。それがいま、〝両思い〟の関係へと変化した。これまで日本は中国の存在や横やりを気にしてきましたが、その懸念を乗り越えて台湾のために行動してくれたのです」
