もう一つは安全保障に対する意識の変化だ。「特に22年8月、当時のペロシ米下院議長の訪台を機に、一般の人々の台湾有事への意識が一段上がった」と早川氏は語る。
一方で、戦後台湾海峡では三度の危機があったものの、これまでのところ、大規模な戦闘には至っていない。不幸中の幸いだが、これには中国にとっても台湾にとっても、善しあしがあると早川氏は指摘する。
「政府や軍の危機感は相当に強いものの、一般の台湾庶民は、〝オオカミ少年〟のようになっています。中国にとっても、今の世代にはかつてのような脅しが効かない時代になっている。ただ、世界情勢が大きく揺れ動く中で、日本人の安全保障に対する意識は確実に変わり、良質な危機感が芽生え始めていると感じます」
李登輝という政治家は
近代台湾に何を残したか
私事になるが、早川氏と私は同世代であり、同じ時代の空気を吸ってきた。学校の歴史の授業でも、日本による台湾統治を含む近現代史をじっくり教わる機会はほとんどなかった。そうした背景の中で、早川氏が日本統治時代に教育を受けた李登輝元総統に仕えることになったという事実は、どこか運命めいたものを感じさせる。
では、その李登輝元総統とはどんな人物で、近代台湾史でどのように位置づけられるのか。
「総統は、日本でも〝台湾民主化の父〟として知られていますが、民主化をゼロから築いたわけではありません。大陸を取り戻すことは不可能であることを悟り、1987年に38年間続いた戒厳令を解除し、『私も台湾人』と言った蒋経国時代から続く流れを完成に近づけた、というのが正確でしょう。
そもそも総統は、急逝した蒋経国の後継として党内基盤がほとんどありませんでした。そうした中で、むやみに自分の望みを押し通すのではなく、機が熟すのをじっと待つ。いわば『鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス』を実行した人でした」
さらに早川氏はこう続ける。
「総統は、国民党トップとしての絶大な権力を巧みに使い、その権力を逆手に取って独裁体制そのものを解体し、自由民主主義へと転換させた。まさに『アウフヘーベン』(止揚)をやってのけた人物なのです」
早川氏がその原動力は何だったかを尋ねると、総統は「日本教育だ」と即答し、こう言ったという。
「人間、生まれてきたからには『公』のために尽くせと叩き込まれてきた。だから私は国民党の権力を手にした時も、『私』のことはまったく考えず、『公』のために使おうと決心できた。台湾の民主化が成功したのは、日本のおかげでもある」
日本人にとっては嬉しい言葉である。ただ、もちろん、台湾の民主化は日本教育や日本精神だけで成し遂げられたものではなく、時代の流れや多くの人々の苦悩や選択、そして幾つもの歴史的・運命的な出来事が折り重なって形づくられたものでもある。
