2026年7月24日(金)

台湾「麗しの島」の実像

2026年7月24日

 台湾には、今もなお、多くの人々から慕われ、尊敬される日本人がいる。

 糖業の近代化を推進した「台湾製糖の父」新渡戸稲造。上下水道を整備してマラリアなどの風土病を根絶した「台湾上下水道の父」濱野弥四郎。現在も在来線として利用される縦貫鉄道を建設した「台湾鉄道の父」長谷川謹介。日月潭にダムと水力発電所を築き、全島に電灯を灯した「台湾電力の父」松木幹一郎──。

 日本ではほとんど知られていないが、日本統治時代に台湾の近代化に力を尽くした日本人である。

 その中の一人に、かつて東洋一の「烏山頭ダム」と灌漑用水路を建設し、洪水・干ばつ・塩害に苦しむ南西部の嘉南平原に暮らす農民たちを救い、台湾一の穀倉地帯へと生まれ変わらせた土木技師がいた。

 「嘉南大圳の父」八田與一である。

右手で髪の毛を回して考え事をする癖があった八田與一。後ろには與一と妻・外代樹の墓がある(WEDGE)

 しかも、感謝の思いから1931年に建てられた與一の銅像は、今も地元の人々によって大切に守られ、毎年5月8日の命日には墓前祭が行われている。国民党・蔣介石による独裁体制下の激動の歴史を乗り越え、これほど愛され続けている日本人の銅像は、台湾広しといえど、與一の像をおいてほかにないという。

 いったい、八田與一とはどんな人物だったのか。そして、與一のみならず、かつての日本人は、台湾に何を残したのか。その答えを探るべく、現地に向かった──。

 「今年は空梅雨でしてね。ダムの貯水率が10%を切って心配していましたが、今日はまさに恵みの雨になりました」

 こう言って迎え入れてくれたのは、「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」世話人代表で、與一と同郷・石川県金沢市出身の德光重人氏だ。

幅広いネットワークを持つ德光重人氏。日勝生加賀屋の董事兼顧問も務める(WEDGE)

 そのほかにも、農業部農田水利署嘉南管理事務所企画室主任の蔡宗勳氏と広報課長の陳美玲氏らが同行してくれ、後述する「烏山頭ダムの〝心臓部〟」であり、関係者以外ほとんど中に入ることのできない「堰堤」の内部を取材することができた。

烏山頭ダムの人造湖。コンクリートで水を堰き止める一般的なダムとは明らかに異なる。台形の「堰堤」は心臓部だ(SHIGEHITO TOKUMITSU)

 また、水流豊富な曽文渓からダムに水を引き込む烏山嶺引水隧道の東口・西口も取材することができた。これらすべてを訪れるのは、日本のメディアとしては〝初〟だという。

 当日の天候はあいにくの雨。だが、見方を変えれば、この雨こそが「烏山頭ダム」に貯えられ、嘉南平原を潤す〝恵みの雨〟となるのである。

上空から見た烏山頭ダム。あたかも珊瑚樹が堰堤から枝を伸ばしたようであることから珊瑚潭(さんごたん)と呼ばれる(IRRIGATION AGENCY,MINISTRY OF AGRICULTURE)

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