2026年9月11日(金)

日本人が知っておきたい安全保障レッスン

2026年9月11日

 一つ注文を付けるとすれば、現在の学習指導要領では「平和」という言葉が35回登場するのに対して「安全保障」は3回のみである。さらに、「我が国の安全保障と防衛については、国際法と関連させて取り扱うこと」という注釈がついており、勢力均衡や抑止力といったリアリズムに基づく視点が軽視されているようにも見える。私は国際法の力を信じているが、「では、どうすれば」を考えるためには「平和の条件」の手段や視点は幅広く教えられるべきだろう。現在、学習指導要領の改訂作業が行われているが、安全保障についてより充実した内容となることを期待したい。

「平和学の父」のメッセージ

 第2講で紹介した「平和学の父」ガルトゥング氏は、平和安全法制が整備されたタイミングで来日し、安倍晋三政権の政策方針を批判する講演を実施している。そこに興味深い内容があったので紹介したい(ヨハン・ガルトゥング『日本人のための平和論』(ダイヤモンド社)44-45頁から引用)。

 「私が講演などで専守防衛(Defensive Defense)の重要性に触れ、武器保有の話などを始めると、少なからぬ聴衆が戸惑いの表情を浮かべる。必要最小限であれ何であれ、武器の保有を肯定するような口ぶりに対し、「平和学の父」というイメージにそぐわないものを感じるのかもしれない。とくに日本で話をするとき、その傾向を感じる」「国を守るには、外交努力だけでなく武力による防衛も必要である。…(中略)…つまり私は、武装解除(軍縮)が理想だと思ってはいるが、防衛のためには一定の武器保有は必要だと考えているので、現実的な判断として、専守防衛に向けた軍備転換―攻撃的な長距離兵器から防衛的な短距離兵器への転換―を訴えているのである」

 このとおり、彼は政権が進めている長距離兵器の保有には反対しつつも、武力を保持することは必要なことだと述べている(なお、彼の理解する「専守防衛」はやや独特である。専守防衛については別講で論じたい)。

 それに対して、日本人の聴衆が「戸惑いの表情」を見せるという。私はここに平和教育の一面性を感じる。「積極的平和」と「消極的平和」は二者択一ではなかった。外交と軍事もそうだ。武力そのものが悪ではない。武力によって命が守れる場合もある。権力そのものが悪ではない。権力によって格差が是正されることもある。

 武器保有に共感しないという心情・信条を持つことに何ら問題はない。だが、物事を一面的に考えるのではなく、別の意見に触れても戸惑わないことが重要だ。異論に耳を傾けることが「では、どうすれば」を真剣に考える態度だと思う。

「もう一つの平和教育」の先へ

 私の手元に日教組が編纂した「もう一つの平和教育」と題する本がある(日教組教育文化政策局編『もう一つの「平和教育」』(労働教育センター))。そこでは、平和教育は〝反戦平和〟を旨とするものから〝平和共生〟を旨とするものに変遷してきたとされ、「戦争の悲惨さ、事実の受動的な認識を越えて、国家的暴力としての戦争のみならず構造的暴力の実態と原因についての積極的な認識へ向かわなければならない」と言葉をつむいでいる(同書17頁)。

日教組が編纂した『もうひとつの「平和教育」』からは、平和教育が反戦平和から平和共生へと変遷してきたことが読み取れる(画像はAmazonより引用)

 〝平和共生〟は構造的暴力(積極的平和)と親和性があるコンセプトだが、私はさらに一歩進めて戦争(消極的平和)に関わる〝安全保障〟についての教育が充実すれば、日本の平和教育はより一層、厚みが増すものになると考える。

 そのためには、国際政治学(国際関係論)という学問領域と従来の平和教育を接続させる必要があるだろうし、現実の政策を考える上で政府による透明性のある説明も重要になるだろう。防衛省は毎年公刊している『防衛白書』を小中高生向けに編集した「まるわかり!日本の防衛」 という冊子を作成している。

 何を教材にするかには各学校の自主性が反映されるべきだと思うが、悲惨さだけを教えることや一面的な立場から教えることは、平和を達成するという安全保障の観点からも、考える力を育むという教育上の観点からも相応しくないと思われる。

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