2026年4月13日(月)

Wedge REPORT

2026年4月13日

海外MBAの儀式化と、日本人が群がった時代の終焉

 大学全入時代と言われ、地方大学を中心に定員割れが常態化している。志願者数はピーク時から大きく減り、18歳人口の減少も相まって、大学教育は構造的な縮小局面にある。ところが、この流れに逆行するように、専門職大学院、特に国内MBA(経営管理系大学院)だけは応募倍率2倍前後を維持し、むしろ社会人の関心が高まっている。雇用保険加入者が利用できる国の給付制度として、MBAやロースクールが「専門実践教育訓練給付金」の対象となっていることも追い風だ。では、なぜいまMBAなのか。この問いに答えるためには、まず日本人とMBAの「歴史」を振り返る必要がある。

 1980〜90年代、日本企業はこぞって若手社員を米国のビジネススクールへ送り込んだ。ハーバードやスタンフォードでは、日本人がクラスの1割を占める年もあったと言われる。背景には、当時の日本企業が抱えていた「国際化エリート」への強烈な需要があった。他社が派遣しているから自社も、という同調圧力も強かった。MBAは経営知識を学ぶ場というより、日本の円が国際化する中での“国際派幹部の通過儀式”として扱われたのである。

スタンフォード大学(Bill_Dally/gettyimages)

 この現象は、アメリカ政府が国家戦略として親米派を育てたフルブライト奨学金とは対照的だ。フルブライトがアメリカという国家による「知の外交インフラ」だったのに対し、日本企業のMBA派遣は、人事部による未来人材への教育投資というより、外部資格発行スクールへの丸投げに近かったと言える。グローバル経営人材を会社内部で育てる仕組みがほぼ存在しなかったため、米国MBAという“外部の正統性”に依存したのである。社債の発行がS&Pやムーディーズといったグローバル基準で評価される時代に、国内の学歴だけでは足りないと考えた企業もあったのだろう。

 しかし、バブル崩壊がこの通過儀礼を終わらせた。企業は初めて費用対効果を問わざるを得なくなり、帰国したMBAホルダーの多くが、配属ガチャや内部組織の抵抗に直面した。海外MBAホルダーの中には創業者や既存企業改革の象徴となった者もいるが、多くの「変革者」を生み出すことはなかった。むしろ、バブル崩壊後に鎖国が解けたかのように外資系企業が雪崩れ込み、MBAは外資系への転職や金融バブル期の高給ポジションに移るための“個人の生き様”として機能したにすぎない。

 もちろん、個人として変革を起こした例も少なくないが、それが“構造として再現されなかった”ことが問題である。 明治維新の脱藩者や、松下幸之助・小平浪平のような創業者が示した「大企業の外に出て新しい秩序をつくる」力が示した第1次世界大戦当時100年企業が相次いで生まれたような潮流にはならなかった。

 では、なぜいま国内MBAが再評価されているのか。それは、日本型企業が誇ってきた現場育成の場=OJTが、単独で機能する前提は崩れた。かつての日本企業は、前例踏襲と現場経験の蓄積で成長できた。しかし、AI・DX・産業構造の転換が進む現在、上司が“教えられるほど分かっていない”領域が増え、過去の経験則がむしろ足かせになる場面が増えている。前例が役に立たない時代には、体系的な経営知識と、正解のない状況で意思決定するための「思考OS」のアップデートが必要になる。

 国内MBAは、海外MBAのような“儀式”ではなく、自律的に学び直すための現実的なインフラとして機能し始めている。日本語で深い議論ができ、日本の制度・文化・市場を前提にケースを扱い、異業種の実務者が集まる。メンバーシップは会社組織に残しつつ、頭脳だけ外部に出す「ソフト脱藩」が可能になる。これは、戦後80年に及ぶ企業国家の終焉後に初めて成立した学びのかたちである。

 ここまで、海外MBAがなぜ儀式化し、なぜ変革者を生まなかったのかを歴史的に整理した。次は、OJTが壊れた現代において、国内MBAがどのように“思考OSのアップデート”として機能しているのかを掘り下げたい。


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