2026年9月27日(日)

偉人の愛した一室

2026年9月27日

 漱石は生涯にわたり、憂鬱とそこからくる胃弱に悩まされた。1900(明治33)年、文部省の命でロンドンに留学したものの、東京帝国大学在学中から患っていたうつ病が悪化し、神経衰弱と診断されて帰国を余儀なくされた。漱石が抱えた煩悶の根はどこにあったか、日本の近代化を考えるうえで重要なテーマなのだが、それはさておき、帰国後もうつ状態は一進一退、時に神経衰弱の再発も疑われる状態が続く。

 この状況をみかねた高浜虚子に勧められ、東大で英文学を教えるかたわら創作活動へと眼を向けるようになる。雑誌「ホトトギス」に寄稿されたのが、かの「吾輩は猫である」だった。この小説は評判となり、続けて『坊っちゃん』や『倫敦塔』を発表、一躍、人気作家となる。漱石は小説家への転身を決意し、朝日新聞社に小説記者として入社した。07(明治40)年のことで、大作家への道がここにスタートしたのだ。

 だが、生来の悩み多き気性が解消されるわけもない。創作活動に多忙な日々を送る一方で、宿痾ともいえる胃弱も悪化させてゆく。前期三部作の完結編である「門」の執筆中、ついに胃潰瘍で入院する破目に。執筆からくるストレスもピークに達していたのだろう。

 そんな折、英語教師として滞在した松山時代の教え子で、俳句の弟子でもあった松根東洋城から伊豆の修善寺に誘われる。松根は宮家の御用掛を務めており、その随行として同地を訪れる予定だった。気心の知れた松根が一緒なら心強い、温泉での療養かたがた、一緒に俳句でもひねろう、そんな思いだったろうか。

 だが、あにはからんや、漱石はこの地で生死をさまよう状態に陥る。その文学まで変えることになる「修善寺の大患」であった。


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