2024年12月8日(日)

絵画のヒストリア

2023年10月25日

 夏目漱石の『虞美人草』の美貌のヒロイン〈藤尾〉は、まわりの男たちを翻弄した挙句、わが身の虚栄と驕慢に引き裂かれるようにして頓死する。

 作品が完結する前から、作者の漱石自身が門下の小宮豊隆にあてて「あれは嫌な女だ。あいつをしまいに殺すのが一篇の主意だ」とまで書き送っているくらいだから、藤尾は漱石があらかじめ仕組んだ〈アンチ・ヒロイン〉の造形である。

 死んだ藤尾の枕頭には銀屏風が立てられた。

 〈逆に立てたのは二枚折の銀屏である。一面に冴へ返る月の色の方六尺のなかに、会釈もなく緑青を使って柔婉なる茎を乱るる許に描いた。不規則にぎざぎざを畳む鋸葉を描いた。緑青の尽きる茎の頭には、薄い瓣(*1)を掌程の大さに描た。茎を弾けば、ひらひらと落つるばかりに軽く描た。吉野紙を縮まして幾重の襞を、絞りに畳み込んだ様に描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。凡てが銀の中から生える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思はせる程に描いた。―花は虞美人草である。落款は抱一(*2)である〉
*1 瓣 はなびら
*2 抱一 ほういつ (酒井抱一。江戸後期の画家。尾形光琳に師事) 

 虞美人草を描いた酒井抱一の屏風絵は残されていない。したがってこれは漱石がしつらえた想像上の抱一の屏風ということになる。

 日本画家の荒井経が2013年に「酒井抱一作《虞美人草図屏風》(推定試作)」と題した作品を描いている。漱石の『虞美人草』で男たちを翻弄する美貌のヒロインの藤尾が死んで、その枕頭に立てられた幻の銀屏風を現代に再現したものである。

 画家は「ヒナゲシが空間を埋め尽くすように群生しているのか、わずかな花を儚く咲かせているのかによって、藤尾のイメージは大きく変わる。小説を読み直し、傲慢だが悪女というより未成熟な女性という藤尾を想定して後者を選択した」と解説している。 

酒井抱一『夏秋草図屏風』(1821-22、部分、紙本銀地着色、二曲一双、重文、東京国立博物館蔵)(出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム) 写真を拡大

 新聞連載された『虞美人草』は鳴り物入りで始まった。

 というのも、この小説は漱石が東京帝国大学講師の身分を捨てて、東京朝日新聞に専属する「小説記者」となった1910(明治43)年、初めて専業作家として筆を執った作品だったからで、籍を置く「東京朝日」だけでなく「大阪朝日」にも原稿は転載されるから、読者へのサービスで冒頭は登場する二人の男が京都を訪れ、比叡山に登る場面で始まる。

 明治末年の三人の知識青年たちを翻弄する驕慢な美貌のヒロイン藤尾が、虚栄と打算のあげくにたどる運命に作家の美意識を凝縮させた。漱石にとってまことに冒険的な長編小説が、かつてない煌びやかな文体ですすんでゆくはずなのである。


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