近現代史ブックレビュー

2021年6月15日

»著者プロフィール
著者
閉じる

筒井清忠 (つつい・きよただ)

帝京大学文学部長

1948年大分市生まれ。帝京大学文学部長・大学院文学研究科長。東京財団政策研究所上席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。『昭和十年代の陸軍と政治』(岩波書店)、『二・二六事件と青年将校』(吉川弘文館)など著書多数。

 近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載はこうした状況を打破するために始められる、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。
夏目漱石と帝国大学 
「漱石神話」の生成と発展のメカニズム

大山英樹 晃洋書房 4620円(税込)

 夏目漱石という作家の影響力は絶大である。その作品『こころ』の累計発行部数は700万部を超す(2014年)に至っている。教科書や入試問題に採り上げられることも多く、漱石のことを知らないと恥ずかしいという感じが漂ってくることすらある。「漱石神話」とでも言うべきものがあると言ってもよいだろう。では、それはいつどのようにして出来上がり今日に至ったのか、それを初めて解明したのが本書である。

 神話の形成にあたっては漱石自身が作ったところもある。漱石はロンドンに留学して神経衰弱になり、帰国を早めたという話があるが、帰国を早めた事実はなく期限通りに帰っている。また、神経衰弱になったという話が広まったが、調べたところロンドンにいた人でそのように報告した人はいなかった。実は漱石自身がこれを広めた節がある。「神経衰弱」と見られた方が都合のよいことが漱石にはあったのだ。

 漱石は、ロンドンに行く前に勤務していた第五高等学校を帰国後にやめ、東京帝国大学・第一高等学校へ就職するのだが、その経緯を自身で次のように書いている。

 「帰朝するや否や余は突然講師として東京大学にて英文学を講ずべき依嘱を受けたり」、「かかる目的を以て帰朝せるにあらず」、「依って一応は之を辞せんと思ひしが」、「余の帰朝前に定まりたるが如き有様なるを以て」、「引き受くる事となれり」(『文学論』序)。

 ところが、当時一高の校長であった友人・狩野享吉の『漱石と自分』という回想には次のようにある。ロンドンからの漱石の手紙に「熊本へ帰りたくない、東京へどうかして出たい」とあり、友人も「夏目を一高へ取れ」という。しかし「熊本から洋行して帰ったらすぐ一高へ出ると言ふのではまずいので、大学の方で欲しいということも理由になって遂に一高へ来ることにきまった」。これを漱石に電報で知らせたら長文の返事が来た。

 その際、五高退職をスムーズに進行させるため、漱石は友人に精神科医による神経衰弱の診断書の執筆を依頼しているが、その手紙には「診断書」をわざわざ2回も「珍断書」と書いており、精神疾患全般を眉唾物と捉えていたのではないかとも見られている。

 そこで、文学評論家の江藤淳は漱石の『文学論』序の弁明を疑い、漱石の狙いは五高の退職金300円にあったとも見ている(江藤淳『漱石とその時代 第二部』新潮社、1970年)。いずれにせよ、少なくとも五高に無断で友人に東大・一高への就職斡旋を依頼しており、その際「神経衰弱」ということで成功していることは事実であろう。

 また、確かに陰鬱な英国体験を思わせる作品があるが、当時友人にあてた葉書には「気楽にのんきに致居候」とも書いている。

 もっとも、これらは神話化のための意図的に行ったというわけではなく、いわば実利的に行ったことに過ぎないと言えなくはないことではある。

関連記事

新着記事

»もっと見る