神秘性を高めた「則天去私」
崇拝・神話化が急速に進行したのは死後だった。漱石を崇拝する傾向は生前からあったが、1916(大正5)年に漱石が亡くなって以降、一層強まっていくのである。漱石の晩年の境地を示すものとして「則天去私」という言葉があるが、これは死後知られるようになったものである。漱石の作中にも公的な場での発言記録にも残されていないこの言葉が広まったのは、弟子たちの証言に拠る。漱石は生前、木曜日に弟子たちを招いて議論をする「木曜会」を主宰していたが、そこで披露されたのが「則天去私」であった。それを聞いた弟子たちはそれを秘事口伝のように伝え、これで漱石の神秘性は一層高まり、聖人化していった。
現在、「則天去私」は小説の方法論を述べたものと見なされているが、当時の弟子たちや読者たちはそこに宗教的なものを感じたと見られている。阿部次郎・安倍能成・小宮豊隆・芥川龍之介・久米正雄など、みなそうである。彼らは論壇・学界・文壇の有力ライターだったからその漱石称揚言説により漱石への偶像崇拝的傾向は益々強められていった。
さらに小宮豊隆の力も大きい。小宮は「三四郎」のモデルとも言われるが、とりわけ漱石への傾倒が強く、漱石への批判を一切許さぬ姿勢は「漱石神社の神主」とも呼ばれた(内田 百間の言葉)。小宮は、漱石死後の全集出版を主導し、その全集の各巻末に詳細な作品解説を付け、伝記『夏目漱石』(1938年)を刊行した。
また、阿部次郎の『三太郎の日記』(「三太郎」は「三四郎」が起源と言われる)のように、漱石の作品は大正期以降の知識人を覆った教養主義(この点については、筒井清忠『日本型「教養」の運命』岩波現代文庫参照)と結び付けて捉えられる風潮が強かったため、例えば、瀧澤克己の『夏目漱石』(1943年)や岡崎義恵の『漱石と則天去私』(1943年)などの漱石研究者は、漱石を作家というよりも一種の思想家と見なした。こうして漱石の作品は一層高尚なものとされ、特に教育界において必読の書とする空気が醸成されていった。
漱石を強く支持したのは「哲学的傾向の青年」たちであり、漱石は「文学」の世界から少し離れた存在と認識されていたため、大正期以降の「文学青年」にはそれほど大きな訴求力を持たない作家であった。
従って、漱石の逝去時に8歳であった漱石の次男伸六は、『父・夏目漱石』(1956年)で、漱石門下の人々の書いた文章が「よそ行きの漱石」で父の実像を映してないと批判しているが、漱石の聖人化に批判的な立場をとる者には文学者が少なくない。若き日に芥川らと行動を共にした作家・江口渙は、『わが文学半生記』(1953年)において、漱石門下のこうした態度に反感を持ち次第に距離を取るようになったと語っている(江口はプロレタリア文学作家となっている)。
また、さらに漱石とは敵対関係にあった自然主義の作家・田山花袋や正宗白鳥らは、人間が老境において悟達に至るという考えにそもそも懐疑的であり、漱石を特別視することに理解を示さなかった。しかし、これらの声は小さく神話化は完成していった。
戦後、江藤淳により則天去私の小宮的解釈は批判されたが、一般読者にそれほどの影響もなくそれはむしろ「苦悩する知識人」としての偉大さをさらに増幅する結果を招いたのだった。
以上は、江藤淳による論点などに一部評者が追記した部分もあるが、本書の内容の一端(著者による「『漱石神話』の形成」筒井清忠編『大正史講義 文化篇』ちくま新書近刊も参考にした)である。
ただし、これまでにも、山本芳明『漱石の家計簿』(教育評論社、2018年)のような優れた研究がすでにあり、漱石は勤務先の給与と巨額の印税のみならず株の投資により大きな利益を得ながら友人たちには隠していたために漱石の没後、境子夫人は現在の額にして10億円以上の散財を尽くし、さらに夏目家が岩波書店から漱石全集の出版権を移譲しようとしたり「漱石」を商標登録しようとしたりして弟子たちを苦しめた(この点については矢口進也『漱石全集物語』(岩波現代文庫)が詳しい)、というようなことはすでに明らかにされていたが、本書はさらに社会的・文化的な解明を加えていった点が優れている。
戦後『こころ』の映画化・国語教科書採用等により神話化が完成していったプロセスについては、藤井淑禎氏の優れた研究「市川崑の『こころ』『大衆文化』創刊準備号 」(2008 年 3 月)があるので言及すればさらによかったであろう。
また、椎名健人「「知識人」漱石から「作家」漱石へ --「木曜会」にみる師弟関係の構造と変容--」(京都大学大学院教育学研究科紀要 第66号、2020年)のような漱石門下生についての立体的研究も出されているので、さらにこうした研究を深めて行こうとする読者は参照すべきであろう。この研究では、漱石への尊敬から集まった門弟は森田草平、小宮豊隆、鈴木三重吉、安倍能成、阿部次郎ら第一世代と芥川龍之介・久米正雄ら作家志望の第二世代とに分けられている。前者の多くは論壇・アカデミックポストなどを漱石から供与されたが、後者は作家として売り出すことが目的で成功しており、有利な地位を獲得するため接近するという面があったという点では同じだが、その志向性や持っていた意味はかなり異なることが明らかにされている。
何か奥深い深遠なものを悟った人物が存在するということになれば、その人だけが知るその奥義を知りたいと思い、著書を読むことになるというのが知識人向きの宗教的個人崇拝のフォルムである。小宮らはそれに成功したが、こうした神話作りにずっと大きな違和感を持っているのは他でもない地下の漱石自身だったのではないだろうか。そこに大きなメスを入れて斬り込み、分析を行うのが文化現象の歴史的研究というもののはずなのである。
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