ウクライナ支援とロシアの脅威に備えて、欧州ではトランプ政権発足から防衛強化の会合が立て続けに行われた。筆者は冷戦終結後から欧州共通外交安全保障・防衛政策を折につけフォローしてきた。確かにこの方面での統合の枠組みは着実に発展している。しかしその有効な具体的な実現は容易な道のりではない。

とくに欧州連合(EU)拡大が今世紀初めに旧東欧諸国にまで拡大したことは経済的な格差だけではなく、外交安全保障分野での統合の道のりをより複雑なものにした。EU拡大に伴う共通安全保障・防衛政策は北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大を後追いする形で下地の不十分なまま離陸する形となったからだ。それは旧ソ連圏諸国の政治経済インフラの基礎作り、つまり市場経済と民主化、そしてロシアとの関係調整が確立しないままの発進だった。
その意味では筆者は2014年第一次ウクライナ戦争の時に国際法を侵したロシアのクリミア半島併合には強い憤りを感じ、経済制裁を含むEU各国の対露姿勢の緩慢さには歯噛みする思いだった。この年の夏、当時2年に1回ブリュッセルで開催されていた世界EU研究者大会に出席した筆者はドイツやベルギーなどの西欧諸国の国際法学者と議論したが、彼らはロシアのクリミア併合を国際法違反として非難しつつ、解決策については欧州全体の対話で解決するのが望ましい旨を一様に語った。
それに対して筆者が「対話にはロシアは含まれるのか」と質問すると、彼らはそろって「もちろん、当然だ」と答えた。そのとき筆者は「デモクラシー対権威主義」という国際秩序の理念的な対抗図式よりも、地政学・歴史的アイデンティティの方がロシアをめぐる彼らの議論のより強い前提になっていることを改めて痛感した。
その意味では、22年2月にロシアの第二次ウクライナ侵攻開始前後の独仏西欧諸国の消極的姿勢も同じ国際認識からくるものだ。前年12月の「米軍はウクライナには直接介入しない」というバイデン大統領ならではのプーチン大統領に対する「平和解決のためのメッセージ」の真意は届かず、かえってロシアのウクライナ侵攻を助長させるあだ花となった。
その後は、国際正義とともに面子を施す意味からもウクライナ支援を強化させていく米国に対して、欧州は原則論的ウクライナ支援とロシア非難ではおおむね一致するが、その支援は米国の後塵を拝した。しかもどこまで自己犠牲を払うかという点では欧州諸国間では濃淡がある。
実はそれは冷戦後の欧州の中での議論の本質だった。ロシア脅威と防衛認識をめぐる西欧諸国と拡大東欧諸国間の齟齬、そして防衛費をめぐる各国の財政事情だ。これらは冷戦後の欧州防衛議論に通底する共通の論点だ。