日本建築学会賞を受賞した「住吉の長屋」を始め、直島の一連の美術館や「光の教会」、「表参道ヒルズ」などを手掛けた安藤忠雄さん(83歳)は、淀川近くの下町で育った生粋の大阪人だ。高校卒業後に独学で建築を学び、今や世界で活躍している。

そんな安藤さんの拠点は一貫して大阪だ。
「仕事の8割が海外プロジェクトなので、事務所を東京に移してはどうかと言われます。でも、私の原点は大阪であり、生きていくために必要な人間関係のベースがある。そもそも社会のレールから外れた所でスタートした人間が建築家として立つことができたのは、大阪の度量の深さがあったからこそです」
自分を育ててくれた大阪──。安藤さんはどんなところに魅力を感じるのか。
「やっぱり良くも悪くも人間のアクの強さでしょうね。でも、まちには、意外なほど緑が多い。大阪城公園や靱公園、万博記念公園と、大きな公園がまちのあちこちに点在している。そして大阪には、京都や奈良にはかなわないまでも『生きた都市の歴史』があるのです。例えば、1930年代につくられた御堂筋は全長4㌔、幅44㍍にわたり、当時は〝東洋のシャンゼリゼ通り〟とも呼ばれました。それに直交する川の中洲につくられた中之島の文化エリアも素晴らしい。それらが今も街の中にしっかり息づいているのです」
さらに歴史的に大阪の強みは〝民の力〟にあると安藤さんは言う。
「江戸時代、水運の要として栄えた大坂には、『八百八橋』というくらい多くの橋が架けられていました。そのほとんどは、当時の豪商たちの手でつくられたものでした。また、中之島にある中之島図書館は住友家からの寄付によって、大阪市中央公会堂は株式仲買人である岩本栄之助の寄付金をもとにして建てられたものです。大阪のまちづくりには、常に〝民の力〟が大きな役割を果たしてきたという誇り高い歴史があるのです」
そんな大阪の魅力や大阪人の面白さが昨今、失われつつあると感じているという。
「サントリーの佐治敬三さんや、東洋紡の宇野収さんなど、自由で豪胆な人物が目立たなくなった。今の大阪人は〝不機嫌〟。一人ひとりに元気がないと感じています」
もう一度大阪に元気を取り戻そうと、安藤さんはJR大阪駅北の「うめきた」エリアの開発にも尽力した。
昨年、部分開業した「グラングリーン大阪」の「うめきた公園」内には、安藤さんが設計監修をした文化装置「VS.」が青いリンゴのオブジェとともに鎮座する。「人間も建築も、いつまでも青いまま、挑戦心に溢れていたい」という思いを託す「VS.」で開催中の自身の展覧会の題名は「青春」(https://www.tadao-ando.com/youth_2025/)。
「年齢とか建築の知識とか関係なく、ともかく訪れた人におもしろいと感じてもらいたい。そこで、今回の展覧会では、1980年代に北海道につくった『水の教会』の空間を、会場内に再現しています。実物と同じように水まで張ったのが好評のようで、台湾や韓国からの来場者もいたようです。やはり、人の感情を揺さぶろうとしたらエネルギーが要りますね」