1986年秋、米国ペンシルベニア州の美術蒐集家、レナード・アンドリューズがアンドリュー・ワイエスの未公開の作品240点を購入して公表すると、米国のジャーナリズムはその評価を巡って騒然となった。
『USA TODAY』紙は特集を組み、「彼の絵が大騒ぎされるのは、牧歌的でセンチメンタルな過去を描いて郷愁を誘うからだ。実際にそんな過去はなかったのに」というコメントの一方で、「ワイエスはアメリカ屈指の傑出した画家であり、彼ほど誤解されてきた画家はいない」という擁護論を繰り広げた。
反響が沸騰するのは必然であったろう。〈ヘルガ〉というタイトルで新たに公表された240点はすべて、画家が過去15年間にわたって隣家へ働きに来ていた農家の人妻をモデルに描いてきたもので、作品の存在は画家の家族にも長らく秘匿されてきた、というのである。
ヘルガ・テストーフはドイツ生まれの移民で、フィラデルフィア近郊の農村チャッズフォードに夫と4人の子供と暮らす平凡な農婦であった。田園のなかにアトリエと広々とした母屋、それに独立戦争時代の製粉所の遺構が点在するワイエス邸の隣の農場主のところへ、介護の手伝いで来ていたヘルガが、初めて画家と会ってモデルになったのは71年、38歳のときである。
ゲルマン系のゆるぎない体躯を持つヘルガはすでに若くはなく、都会的な洗練や美貌とも程遠い。けれどもそこにこそ、すでに初老期にあった画家は強く惹きつけられ、創造のモチーフを刺激されたのであろう。
ヘルガの逞しい身体が放つ生命力とエロスは、画家の魂を揺り動かした。
戸外の風景を背景にしてモデルの移ろう表情を捉えた肖像はテンペラや水彩、ドライブラッシュなどさまざまな素材によって描かれている。褐色を基調とした、テンペラやドライブラッシュなどのやや粗い筆触から伝わるのは、未開の荒涼とした米国という大地の片隅で、老いに向かう画家と平凡な日常を生きる農婦のモデルの間にゆきかう、〈孤独〉と〈愛〉の交響である。
隠されていた夥しいアトリエの裸体画や肖像画のモデルは、すべてヘルガである。
さびれた田園は、すっかり葉を落とした疎林とくすんだ茶褐色の落葉が大地を覆っている。窓から差し込む午後の光を弾き飛ばすような勢いが、椅子に座るヘルガの豊満な裸体に息づいている(『恋人たち』81年、ドライブラッシュ)。
あるいは79年の『農道』(テンペラ)。背景の遠景に3本の常緑樹だけがある暗褐色の地平を、曇った空が斜めに切り取っている。前景で半身のヘルガは後ろを向いており、主題はむしろその美しく三つ編みに結い上げた、後ろ姿のブロンドの髪である。
モデルの豊かな髪という画家のフェティッシュの対象が、斜めに切り取った背景の地平線のモダニズムと響きあうことによって、ここでも〈ヘルガ〉との間に画家が結んだ孤独なエロスの物語が息づいているのである。
〈私はモデルと恋に落ちなければならない。それは木や犬を描くときと同じことである。私は夢中にならなければならない。ヘルガがカーナーの道を歩いているのを見たとき、それが起こったのだ。彼女は圧倒的な、驚くべき金髪の女性だった〉
ワイエスが残した言葉は、ヘルガというモデルに出会った時に画家へ湧き上がった心のときめきを余すところなく伝える。